2017年4月14日金曜日

[黙示録再解読]:第七の封印を開く時

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

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■ 巻物の第七の封印を開く


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

以前の黙示録解読では、第八章の冒頭で小羊が巻物の第七の封印を開きます。
第二節~第五節では、神から七人の天使にラッパが与えられ、金の香炉を持った別の天使には多くの香が与えられます。
玉座の前にある金の祭壇の火を香炉に満たして、そのまま天使は香炉を地上に投げつけます。
ここで、金の祭壇の火とは神聖なる力を表しますので、この後地上で起こる出来事は神様の神聖な力による出来事であることを示します。
そして神様よりラッパを与えられた七人の天使が、事態の進捗状況を知らせる為にラッパを鳴らします。
それは以下のような流れで進みます。

以上の、人間視点から見た巻物の第七の封印を開く件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、第七の封印が開く時に、地上にいる全ての者たちを対象にして、神との絆が結ばれます。
ここで言う絆とは、霊的エネルギーや情報をやり取りする経路、通信回線とでも例えればよいでしょうか。
これまでは各拠点を通じて(間接的に)人と神の絆が結ばれて来ましたが、第七の封印を開く時を境にして、人と神が直接絆を結びます。
人と神が直接繋がるには、神が発するエネルギーや情報を適切に受け取って活かす方法を、人が学ばなくてはなりません。
しかし、その条件を整えるには多くの時間をかけて、神からエネルギーや情報を受け取る方法を実践を通じて学び、徐々に慣らしていかなくてはなりません。
その様な準備期間として、半時間ほど沈黙の時が設けられています。
この間に人間たちには、自分たちが学んだ成果を示す機会が訪れるでしょう。

曰く、ここで現れる七人の天使は、神の言葉の実践者と言うことを忘れてはなりません。
神から与えられたラッパを天使が使用するのですから、神からの信認を受け、神の指示によって使用しているという事になります。
これから、天使たちがラッパを吹く度に起こる出来事により、多くの人が苦しみを受けたとしても、人を苦しめる事を目的としたものでは無く、人間の成長を見極めるために必要であることを知りましょう。

曰く、これから人間の世界でおきることは、聖なる者たちの証として起こります。
だからこそ、聖なる者たちの祈りと共に多くの香が金の祭壇に捧げられるのです。
この香の煙はのろしのようなものであり、神の裁きの時が始まる合図となります。

曰く、香の煙が立ち上り、全ての準備が整った合図が周知されます。
そして天使は、予め決められていたとおりに聖なる者たちの祈りを携えて、神の御前へと立ち上がります。
神の裁きを開始する合図を物質界に向けて送るためです。

曰く、時が満ちて聖なる者たちの祈りは聞き届けられました。
天使が香炉に祭壇の火を満たしたのは、それぞれの行いの結果を明らかにするためです。
祭壇の火が地上に投げ込まれると様々な試練が課せられて、その試練に向き合う際に人の本性が明らかになります。
雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こったと書かれていることから分かるように、人はさまざまな試練を経験します。
これらの働きかけにより、地上はとても暮らしにくい状態に変化します。
暮らしにくくなれば当然のように争いが発生します。
自分たちにとってよりよい暮らしを求めるからです。
その為に人間同士の潰し合いが始まります。
環境の変化は、必ずしも自然災害だけとは限りません。
主に人為的に引き起こされた不具合が原因となるでしょう。
しかし、その因果関係に気付く者はほんの少数です。
自然災害の多発のみであれば、人々の協力によって苦難を乗り越え、再び繁栄することも可能ですが、人の心が生み出す争いは、止まるところを知らずに幾たびも繰り返されて、偽りの繁栄の後に滅亡をもたらします。

曰く、地上に火のついた香炉を投げ込むことによって人の本性があからさまになり、白い衣を着るのに相応しい者たちと、今しばらく地上における学びが必要な者たちが二つのグループに選り分けられます。
ここに来てようやく七人の天使たちがラッパを吹く条件が整いました。




■ 第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第七節では、第一の天使がラッパを吹きました。
すると血の混じった雹と火が生じて、地上に投げ入れられます。
その為に地上の三分の一が焼け、木々の三分の一も焼け、全ての青草も焼けてしまいます。
これは大規模な陸上戦闘によって多くの血が流れ、また大地が著しく荒廃してしまうことを示しているようです。
ここではさらりと簡単に流しているようでも、地上の三分の一を焼くのですから、恐らく相当大規模の戦争が起こるのか、もしくは広範囲で紛争の絶えない世の中になることを示唆しているのではないでしょうか。

黙示録の第八章第八節~第九節では、第二の天使がラッパを吹きました。
すると火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられます。
その為に海の三分の一が血に変わり、被造物で海に住む生き物の三分の一が死にます。
また、船の三分の一が壊されます。
これは大規模な海上戦闘が起こり、その為に海の生物に多くの被害が出て、また多数の船舶が沈められる事を示しているようです。
ここであえて「被造物で海に住む生き物」と表現しているので、被造物=神の手により創造された生き物であると強調したい心の内が伺えます。
人間同士の諍いが原因で起こった戦争に、神が創造された海の生物を多数巻き込む理不尽さを諫めているように読めます。
ともあれ、海の三分の一を血に染める大海戦が起こるようです。

以上の、人間視点から見た第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここに記されている事柄は、主に人間が引き起こすことになる事象です。
人間たちの持つ知識には限界があって、何を為すにも程よい加減に治めることが難しく、例え慎重に事を進めていたとしても行き過ぎてしまう事は避けられません。
価値観の違う者たちが同じ枠組みの中で暮らし続けるためには、お互いの考えや行動を尊重し、譲歩し合い、折り合いを付けることが出来なければなりません。
しかし、実際にそれを行う事は難しく、互いの価値観を押し付け合い、奪い合うことで軋轢が生じてしまいます。
それらの軋轢の行き着く先に、生存をかけた殺し合いがあります。
最初から冷静に考えることが出来れば、殺し合いに発展する前に解決する手段はいくらでもあるのですが、目先の欲望に囚われて冷静さを欠いた思考力では、正解を導き出すことは大変難しく、誤った方向に突き進んで後戻りできない状況に陥ってしまうでしょう。
そして誰しもが「私は何も悪くない!悪いのは相手の方だ!私は被害者なのだ!!」と思いたい衝動に駆られてしまいます。
しかし、実はその様に被害者と加害者を明確に分けることが出来る状況はほとんど存在しません。
誰もが皆、自分の立場からしか物事を考えることが出来ないので、相手の立場から自分を見たときに、被害者だと思っている自分こそが、相手にとっては加害者として映っていることを知る由も無いのです。
争いは無知から来る不安によって発生します。
相手が何者かわからないという不安です。
この「わからない」という不安を解消するために、相手を自分が理解できる枠に当てはめようとします。
互いにその様な行為を繰り返せば、当然両者の間に軋轢が生じて、安定した信頼関係を結ぶことが出来ません。
今までに起こった出来事を振り返れば、そのことが手に取るように良く分かることでしょう。
一体どれだけの国が争いによって滅び、どれだけの人々がその命を犠牲にしてきたことでしょう。
国家の興亡が何度繰り返されても、その間にどれほど多くの血が流れようとも、人間はいつまでも人間のままであって、何一つ変わっていません。
どんなに技術が進歩しても、どんなに豊かな世の中になろうとも人間は何一つ変わることはありません。
技術が進めばそれが争いの種となり、豊かになればそれがまた争いの種となるのです。
人間という存在も他の生物たちと同様に、己の生存をかけて争い続けているのです。
この世にあって神の言葉を実践出来る人間は稀であり、大変貴重な存在といえるのです。
大抵は甘言に惑わされて誤りを犯してしまいます。
その様な世の理がここには記されています。
人は争って互いに殺し合うことでしょう。
「血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。」という表現は、人間の欲望が争いを生み、多くの血が流されることを比喩的に表現しています。
大勢の人間が争いに身を投じ、命を落とす事になるでしょう。
争いによって地上の三分の一が損なわれることを考えて見て下さい。
それはとても恐ろしい光景です。
人間はこれらの経験を通じて、争いを起こさなくても済む方法を学ばなければなりません。
甘言に惑わされる愚かさを知り、それを乗り越えなくてはならないのです。
ここで述べている幾多の試練が、その為の機会である事を忘れてはなりません。




■ 第三の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第十節~第十一節では、第三の天使がラッパを吹きました。
すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川の三分の一とその水源の上に落ちます。
その星の名は「苦よもぎ」といって、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなったので、多くの人が死にました。
霊界の住人によると、これは深刻な水質汚濁が起こり、飲用水として使用していた川の水が汚染されて、毒水に変わってしまった事を示しているようです。
それ程の深刻な水質汚濁の実情を知らなかったのか、もしくは知っていても、他に清浄な水を手に入れる手段がなかった為に、毒水と知りつつ飲用せざるを得なかったのかは分かりません。
いずれにせよ、毒水を飲んだ為に多くの人が犠牲になってしまうようです。
この「苦よもぎ」がチェルノブイリ原子力発電所で起きた、原子力事故を暗示する説がありますが、『銀の紐』では、「苦よもぎ」の海外での名称が、『創世記』の「楽園から追放された蛇が這った後に生えた草」であるという伝説との関係を重視します。
『創世記』第三章では、予め神から禁じられていたにもかかわらず、蛇がエバを騙して善悪を知る者の実を食べさせ、アダムも蛇に唆されたエバの言うままに木の実を食べてしまったので、それを知った神はアダムとエバを楽園から追放します。
エバを騙した蛇とは悪魔サタンを指しますが、その蛇の這った後に出来た草ですから、悪魔サタン的な価値観を象徴する草と見ることが出来ます。
人間社会がサタン的価値観に支配された結果として、必然的に清浄な水も毒水に変質してしまうと言う比喩表現でしょうか。

以上の、人間視点から見た第三の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここでは川の三分の一が汚染される様子が書かれています。
川の水は、生物にとって命を繋ぐために欠かせません。
それを、人間の主導権争いによって損ない、人間のみならず、それ以外の多くの生物たちをも巻き込んでしまっています。
この世界は相互に作用しており、時には周囲に恩恵を与え、時には周囲から恩恵を受けながら成り立っています。
一方的に与えている存在もいなければ、一方的に受けている存在もいません。
例え見た目には分からなくても、この世界に存在しているからには、必ず相互に与えあい、受けあって暮らしています。
その因果関係が理解できていないのです。
無知であるが故に、意図して行うわけではなくても、人間は周囲のあらゆるものを死へと追い詰める行動をとってしまいます。
何か衝撃的な出来事が発生する時、それは特定の誰かの仕業ではなく、地球上に存在する全て者たちの考えと行動に行き違いが生じているのですから、その出来事の責任を特定の者に負わせても、真の解決には繋がりません。
知らなければ全く関係ないのではなくて、その無関心こそが決定的な事態が起きる要因の一つになっていることを知る必要があります。
この世界で起こるあらゆる出来事は、この世界に存在する全ての者が個々に思考し行動した結果の積み重ねであることを、全ての者が自覚しつつ日々を過ごせるようになった時に、世界の有り様は劇的に変化するでしょう。




■ 第四の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第十二節~第十三節では、第四の天使がラッパを吹きました。
すると太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が損なわれて、それぞれ三分の一が暗くなりました。
その為に、昼は光の三分の一を失い、夜も同じようになりました。
そして一羽の鷲が空を高く飛びながら、大声で言いました。
「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者達。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」
霊界の住人によると、これは壮絶な大気汚染が起こり、太陽や月、星の明かりが地上に届きにくくなる程、空が暗くなってしまうことを示しているようです。
そんな空に一羽の鷲が飛んでいて、これから三人の天使がラッパを吹く度に、地上に住む人に不幸が襲うと警告しております。
何故鷲がその様なことを言うのでしょうか。
第一~第四の天使がラッパを吹いた時には、それが例え思ったような結果に結びつかなくても、地上に住む人が自ら選択した行動です。
しかも、その選択は蛇の這った後に「苦よもぎ」が生えたように、悪魔サタンが引いたレールに沿って進められてきたものです。
だから自ら選択した結果は自分で刈り取る決まりに則って、これから三人の天使が吹くラッパの合図と共に、自ら選んだ結果が還ります。
それが地上に住むあなた方にとっては、不幸な偶然としか見えなくても。

以上の、人間視点から見た第四の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここでは太陽と月、そして星の三分の一が損なわれる様子が書かれていますが、実際に太陽や月や星が損なわれるわけではありません。
これは、地球を覆う大気の具合によって、地上から空を見上げたときに、太陽や月、そして星の光が届かないようになる地域が全体の三分の一に及ぶという表現です。
いわゆる大気汚染です。
これは現在進行形で、地球上の各地で見られる現象ですので、誰にでも容易く想像できるでしょう。
誤った形で性急に豊かさを追求した結果として、自然環境を著しく損なって、自分たちの生活環境を破壊してしまいました。
もっと早くに手を打っていれば、汚染の規模は小さく限定できたので、浄化に掛かる時間も短くて済んだでしょうが、ここまで大規模に拡大してしまうと、浄化にもそれなりの時間を要するでしょう。
ましてや、そこに重ねて汚染源を振りまき続けているとしたら、いつまで経っても浄化する事が出来ず、ただただ汚染が広がるに任せるしかなくなって、日を追って生物の生存が脅かされて行きます。
自然浄化で事足りる程度の汚染源であれば、そもそも環境汚染は問題にならないからです。
この問題も、誰か一人の、あるいはどこか一国に責任を求めることは出来ません。
みなそれぞれに影響し合って暮らしているのですから、汚染源を異常に垂れ流す者たちに対して、適切な処置をしてこなかった者たちにも責任があります。
目に見えて悪影響を及ぼす者たちは大変目立つので、矢面に立たされ攻撃されやすい立場になるが、その周囲で彼らの行為を見逃し、後の影響を考えずに利用してきた側にも問題があることをしっかりと自覚しなくてはなりません。
そして、このような悲劇的な事態を回避できる方法を探し、是非実践して下さい。
例え全体で実践することは難しくとも、少なくとも全体の三分の二の場所では汚染されることはないのですから、今から出来ることを是非考えて実践してみましょう。

(2017年2月25日)





■ 第一~第四の天使がラッパを吹くまでのまとめ


巻物の第七の封印を開いた時の様子は、多くのスペースを割いて詳細に記述していますので、今回は黙示録の第八章に当たる、第一~第四の天使がラッパを吹いたところまでとします。
第五の天使以降は次回に持ち越しとなります。

さて、既に以前の黙示録解読の際にも述べているように、そして記事【[黙示録再解読]:小羊が神の巻物の封印を開く】で述べたように、小羊が神の巻物の封印を解いて開いていく過程のうち、今はちょうど第二の封印を開いたところで、「神の裁き」の時代が始まったばかりの時点となります。
この記事は第七の封印を開いた時の様子を表していますので、遥かな未来に起こるはずの出来事として記していますが、実は現代の様子に符合する描写が随所に見られます。
これは偶然ではなくて、七つの封印を開く度に訪れる「神の裁き」の時代は、概ね似通った経緯を辿り、それを七度繰り返すのだそうです。
解かれる封印の場所によって、神の裁きが下る対象が変わったり、神の裁きの物語が展開する舞台は変わっていきますが、その時代ごとに配役を変え、また細々とした部分の違いはあれども、大まかには類似した物語を繰り返します。
私たち人間には寿命という制約がありますので、その物語の全体像を確認するわけには行きませんが、既に一度、「神の裁き」の時代を乗り越えた記録があります。
その記録と、これから私たちの目の前で繰り広げられる「神の裁き」の経緯を見比べることによって、本当に「神の裁き」は似通った物語を何度も繰り返すのか、或いは『銀の紐』による黙示録解読はただの嘘偽りに過ぎないのかが明らかになります。
特にキリスト教を信仰する方にとっては、「今は黙示録の時代である」事が示された方が、感慨深いものがあるのではないでしょうか。
そして、今が黙示録の時代であるなら、黙示録の記述が現代を生き抜く指針となります。
それと同時に、黙示録の記述と身の回りの出来事の類似性を見極める中から、きっと見えざる神の息吹を感じ取ることも出来るでしょう。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年3月31日金曜日

富士山から噴出したもの

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
先月投稿した記事【炎に包まれた人々】では、日本国内が対象になっていましたが、今回は日本と周辺国の関係が焦点になっています。





■ 霊媒Mが見たイメージ


女神様が右手に榊の小枝を持ち、足下の地面に向けて振り下ろすと、榊の小枝から清浄な水が一滴、地面にこぼれ落ちます。

すると、滴が落ちた場所がひび割れて、地面が地下深くへ崩落して大きな穴が開きました。

女神様は、足下の地面が無くなったのに、同じ場所に止まって宙に浮いています。

次に女神様は、今度は右手に持った榊の一枝を空に向けて振り上げると、先ほど地面に空いた穴から溶岩が噴出します。

溶岩が噴出した場所は富士山の火口のようです。

富士山の火口から次々に噴出する溶岩は、山の斜面を伝って周囲へ広がり、流れ落ちて行きます。

ただ、これは比喩的なイメージなので、実際に富士山が噴火するわけではありません。

なので、溶岩流に覆われた麓の街にも何ら被害は無く、昨日と同じ日常が今日も続いています。

山の麓から広がった溶岩流は、地面を縦横に伸びる道路に沿って流れて、やがて日本全国に広がって行きます。

溶岩流はいつの間にか海を隔てた島などにも流れ着き、島内の道路に沿って隅々にまで広がって行きます。

その様子はまるで、血管を流れる血液のようです。

血液が全身を巡って酸素を送り届けるように、溶岩流が日本全国津々浦々にエネルギーを運んでいます。

その血液のように見える溶岩流は、とある場所に辿り着くとその地域を避けて通ります。

溶岩が避けた土地は黒く焦げており、煙が燻っています。

その黒焦げの地面をしばらく見ていると、突然地下から溶岩が噴出します。

富士山から道路に沿って流れてきた溶岩流とは別の道、表向きには見えない地下道を通ってその土地に辿り着いたもので、大元は同じ溶岩です。

そして、地下から噴き上げる溶岩流をよく見ると、流れの中心に【平和祈念像:wikipedia】を包み込んでいます。

まるでその像にエネルギーが注ぎ込まれているようです。

そしてその次に見えたのは、十字架の形をした溶岩が地面の底から浮かび上がってきますが、そのまま十字架が溶け落ちてしまい、地面に落ちた溶岩がその場で広がる様子でした。

十字架が溶け落ちた傍らにはマリア像が建っていて、その時マリア像が溶岩の涙を流したのですが、マリア像から流れた溶岩が海辺に流れ着き、そこで海面に火をつけて、見る見る東シナ海と日本海を炎で包み込んでしまいます。

東シナ海と日本海に広がった炎の海は、日本を守る自衛隊や米軍からは見えません。

彼らにとっては何も変わらない、いつも通りの海が広がって見えています。

しかし、日本海と東シナ海を航行する中国、韓国、北朝鮮の軍艦からは、炎の海が周辺一帯を取り囲んでいるように見えます。

と、思ったのも束の間、軍艦は為す術もなく、その炎に飲まれて炎上します。

それらの様子を目の当たりにする自衛隊や米軍からは、何事も無い海に浮かぶそれらの軍艦が突如発火、炎上しているように見えています。

さて、富士山から流れ出した溶岩流の一部が東京湾から海に流出し、そのまま太平洋を渡って米国の西海岸の一部に辿り着きます。

米国に流れ着いた溶岩は、西海岸に沿って炎上していますが、太平洋には何も影響がありません。

しばらくして、その炎は米国の東部から流れてきた雨雲によって消し止められますが、炎上した部分は黒く焦げ、蒸気を上げながら燻った状態に置かれます。

(2017年3月27日)





管理人の印象として、このイメージは冒頭に挙げたリンク先の記事の流れを引き継いでおり、なおかつ記事【霊媒Mが見た三つのイメージ(その1)】のうち、日本から北米に至る部分について、更に詳細に取り上げていると思いました。
同時に、ここで中国・韓国・北朝鮮が軍事的な損害を受けることにより、それぞれの国内で政府の求心力が衰えて、中国についてのイメージ【霊媒Mが見た三つのイメージ(その2)】や、朝鮮半島についてのイメージ【霊媒Mが見た三つのイメージ(その3)】に繋がるのではないでしょうか。

ご覧の皆様の感想をお待ちしております。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年3月17日金曜日

あなたにとっての戦後レジームとは?

今回は『銀の紐』をご覧の皆様にご意見を伺いたいと思いますので、ご協力をよろしくお願い致します。

テーマは、「あなたにとっての戦後レジームとは何ですか?」です。

以前投稿した記事【炎に包まれた人々】のコメント欄でも述べましたが、記事【改めて、結界解放に伴う影響】などの、いわゆる「戦後復興を促進する結界」が解けてからしばらく経って、ようやく「東京裁判史観」を見直す意見が社会的影響力を持ち始めました。
この記事を投稿した当時は、どちらかというと悲観的な意見が多かったのですが、今は当時から見ると国内の雰囲気もかなり変化しています。
とは言え、当時の戦勝国が吹聴した嘘偽りの払拭には至らず、これからも地道に「日本を貶め続けてきた嘘の払拭」に取り組む必要があります。

そこで、ご覧の皆様に伺います。

1.貴方にとって、戦後レジームを代表するものは何ですか。

2.1.に挙げたものを無効化するには、どの様にすればよいと思いますか。

皆様のご意見をお待ちしております。
ご意見は下のコメント欄にお願いします。

※ コメント欄に投稿されたご意見について、「わたしもこの意見に賛成します」という方は、元のコメントに返信で「賛成」とコメントを頂けますか。
(2017年3月18日追記)

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年3月1日水曜日

神社について6つの疑問

今回は、記事【炎に包まれた人々】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問について、とある霊界の住人からの回答が届きましたので、ご紹介します。





■ 匿名様の質問

(前略)

私は以前から神社仏閣が好きで、定期的にお詣りする神社以外にも、たまたま通りかかった神社仏閣に立ち寄ってお詣りしたり、お守りを求めることがありました。
ところが4年ほど前、非常に霊感が強く、その方面の修行をしたこともある知人から、「神社仏閣は、氏神様や家の菩提寺など、自分に関連したところか、あるいは、ここと自分が決めた神社仏閣以外にお詣りしてはいけない。神様は、あちらこちらにお詣りしたり、お守りをいただく人間を快く思わない」と言われました。
また、「夕方以降は行かないように」と言われました。これについては、以前に聞いたことがあって実行していたのと、実際に、たまたま暗くなってしまってから神社にお詣りした時、「連れてきてしまった」ようで怖いことが起こりましたので、その時からは肝に銘じて控えております(その「怖いこと」が起きたあとは、その名残が消えるまで、お清めの塩とお酒でしばらくお祓いをつづけました)。

その結果、現在は、信仰している神社仏閣数ヶ所と、日本人の総氏神様ともいえる伊勢神宮には、お詣りしてお守りをいただくのを基本にしておりますが、友人と旅行した際など、何かの折に他の神社仏閣に行くこともあり、そのたびに、知人の言葉を思い出しては躊躇しております。
本来、神様がそんな分け隔てをすると思うのは失礼に思いますし、そんな、人間のような狭い了見ではないように考えますが、知人の言葉が呪縛のように私の行動を鈍らせます。

そのようなわけで、今回、あまりに初心者的な質問で心苦しいのですが、知人からの言葉と、巷間言われている決まりごと等について、霊界の住人の皆様に近しい管理人様達のご見解をおうかがいできればと存じます。

  1. 管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか
  2. 夕方以降は行かない方がよいのでしょうか
  3. 色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか
  4. お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか
  5. 家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか
  6. 神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

以上のことについて、むろんご存知の範囲で結構なのですが、おうかがいできればと存じます・・・。
あるいは、「神様や神社仏閣との繋がり方において最低限氣をつけておく事柄(それ以外は氣にしなくてよいこと)」を教えいただけるのでも、とてもありがたく思います。

(後略)





■ 霊界の住人の回答

1.管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか

質問1.については、記事【彼らの目的は果たされない[小ネタ]】のコメント欄、カズミ様の質問に対する管理人の回答で述べている通りです。
該当する部分を引用します。

カズミ様の質問
今、神社にとても関心がありまして、あちこち行きたいと思っているのですが、
以前テレビでタレントさんが「ロケに行った先などで神社を見つけるたびに
お参りしていたら、どうも調子が悪くなった。ある日霊感の強い人から
『いろんな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩しているよ』と言われた」
といったことを言っていました。
それが頭にずっと残っていて、「あまりあちこちに行くのはいけないのかなー」
と思っているのですが、どうなのでしょうか?

管理人の回答
結論を先に述べると、「神様同士が喧嘩をする」筈がありませんし、神社を参拝することによって神様との間の絆が繋がり、その絆が強まります。
また、特に関心を持っている神社がある様でしたら、その神社の神様より招かれている場合もありますので、関心のある神社を複数訪ねても一向に構いませんし、是非色々と参拝して廻ることをお薦めします。

管理人も以前どこかで「神様が喧嘩する」とか、「神様同士の相性が~」という話を小耳に挟んだ記憶がありますが、これらはいずれも人間的な感情の働きに沿っていて、人間よりも遙かに成熟しているはずの神様が喧嘩をしたり、神様に相性があると言うのもおかしな話ですよね。
毎年の神無月には、日本全国の神様が出雲大社に集うと言いますが、年に一度は一堂に会する日本の神々が、普段はお互いに縄張り争いで揉めているとでも言うのでしょうか。
少なくとも管理人が霊界の住人から聞いている限りでは、日本の神様は日本の秩序を守り、日本で生活する人の霊的な成長を促す為に組織的な活動を続けております。
お互いに喧嘩をしていたり、相性が合わないからと連携をためらっては務まりませんし、全ての日本の神々が目的を共有して、各々の立場に応じて役割を分担して果たしていくからこそ、ようやく日本の秩序を守ってゆけるのです。

では、「色々な神社を参拝していたら、身体の具合が悪くなった」と言うことは起こり得るのでしょうか。
一つ目の可能性として、神社を参拝した人が霊媒質であり、なおかつ神社の神域に満ちている霊的エネルギーが強かったり、参拝者が神社のエネルギーの質に馴染んでいない場合は、疲労や身体の異常として現れる場合があります。
その場合は、時間を置いて(例えば一週間おきなど)何回か同じ神社を訪ねることによって、参拝者の身体を神社の霊的エネルギーに慣らしてゆくと、その様な症状は次第に解消されるでしょう。

二つ目の可能性は、神社の神様が参拝者に対して何らかの働きかけをしているのですが、それが参拝者自身にとっては目を背けたいテーマであったり、神様の働きかけを拒絶したい気持ちがある場合に、身体的な異常として現れる場合があります。
神様は参拝者の成長を支援する為に、参拝者が抱えている問題に立ち向かい、乗り越える方向性の働きかけを行いますので、参拝者自身に何らかの問題を抱えている自覚がある場合は、こちらの可能性が考えられます。

三つ目の可能性は、参拝者に何らかの霊が憑いていて、その霊が神様や神社に近づくことを嫌がって、参拝者が神社へ近づかないように影響を及ぼした結果として、身体的な異常が現れている場合があります。
神社を嫌う霊とは、余り素行が良くない存在なのですが、参拝者の物の考え方がその霊に近いと、居心地の良さを感じて憑依し続けますから、そのような場合は日常生活における心掛けを改める必要があります。

人々が神社の神域を訪れることによって、神様は人々に対して働きかけやすくなりますので、神域で犯罪を行うのでもなければ、基本的にはどの様な方の参拝も神様は歓迎します。
ところが「色んな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩をする」と吹聴することによって、人々を神社から遠ざける作用が働きますので、自覚の有無はともかくとしても、この自称「霊感の強い人」は、日本の神々の活動を妨害していることになります。
神様の活動に対する妨害行為は、日本の秩序を乱すことに繋がりますので、いずれ自分の行いの結果を何らかの形で刈り取ることになるのではないでしょうか。

ここからは、上の回答で足りていない部分の説明を追記します。

日本という枠組みで考えてみれば各神社の神々の纏う霊的なエネルギーは同質のものなのですが、日本全国各地域でそれぞれに特徴があるように、地域ごとに必要とされる霊的なエネルギーの特徴も微妙に異なっているという事情はあります。
そのため、旅行先で神社に参拝される場合は御自身が暮らす地域の神々が発している霊的なエネルギーとは微妙に異なる霊的なエネルギーに触れることになります。
源は全て同じものなのですが、人間にとってはその微妙な違いも気になる場合があります。
雰囲気的に好きな地域やあまり好きになれない地域などがあると思いますが、それはその地域特有の霊的なエネルギーの微妙な違いにより好ましさを感じたり居心地の悪さを感じている場合があります。
基本的に、機会が訪れるという事は必要があるからですので、御自身に不都合がないのであれば、その機会を活かした方が良いと思われます。
大切なのは、それらの経験から何を学び取るのかというところですから、あまり臆病にならずに、ご縁が結ばれたのであれば訪れてみて下さい。

神社やお寺を管理しておられる側の都合というものもあるでしょうから、観光地など広く参拝客を受け入れているような場所以外での参拝などの場合は、直接管理しておられる方に伺ってみるのが良いでしょう。
基本的には、入り口が開放されており、誰でも入れるようになっている場所では取り立てて制限はしていないと思われますから、あまり神経質にならなくても大丈夫でしょう。
様々な事情から、勝手に敷地内に入れないようになっているような場所では、きちんと手続きを踏んでからお参りするのが良いでしょう。
相手のご迷惑にならないように、礼を尽くして参拝されるのが良いと思われます。

人間の手によって意図的に作られた神が祀られているような場所には近づきたくないものです。
それはとても不自然な存在です。
神は神でもそれは偽神ですので、やたらに近づいて良いものではありません。
それは呪いそのものですから、例え欲望を満たせたとしても、その後は束縛され逃げられなくなります。
また、偽神は神気を嫌います。
ですから、神社で参拝して神気を纏っている人間を嫌う傾向があります。
神とは対極にあるもの、それが偽神なのです。
偽神が存在している事を神は許容してはいますが、だからといってその存在が神として受け入れられているわけではないのです。

たまたま知り合った人が偽神を崇めている人であったため、偽神に関わりを持ってしまったなどということが無いようにするためには、神々と心を通わせ強い絆を結んでおくと良いでしょう。
そうすれば、価値観の相違から相手の方が嫌って近づいてはこないと思われます。
魅入られないこと、引き込まれないこと、安易に近づかないこと、それが己の身を守る上で一番重要なことであると思われます。


2.夕方以降は行かない方がよいのでしょうか

暗闇というものはただでさえ人心を惑わせ悪心を抱かせやすいものです。
例え霊などが関係していなくても、闇に紛れて悪さをしようと考える人間は大勢います。
どうやら人間の皆様にとって、人目に触れたら困ることや後ろめたいことなどは、闇に紛れていた方が実行しやすいようです。
その様なわけですから、必要が無いときは夜に外出するのはあまり感心できることではありません。
自らの身を危険にさらすことになるからです。
神社やお寺などが建っている場所は、沢山の外灯を煌々と照らしているわけでもありませんし、ネオンサインがキラキラ輝いているわけでもないので人通りも少ないですし、どうしても物騒になります。
その様な意味では、夕方以降に神社仏閣を訪れるのはあまり良くないことのように思われます。
人間に近い感覚を持った霊たちも同じ事で、やはり悪さをするなら夜の方がやりやすいでしょうし、賑やかな場所よりも寂しい場所の方が相手に狙いを付けやすいという事はあると思われます。
霊の場合は神社やお寺の中で悪さをすることは出来ないと思われますので、敷地の外に出たときに危険が待ち受けていることになります。
しかし、人間の場合はその様な事は関係ありませんから、内であれ外であれ、欲望に駆られれば行動に移します。
用心していれば避けられる災難も、迂闊に近づけば被害に遭ってしまうでしょう。
人間にしろ霊にしろ、暗闇は魔に魅入られた者たちが活発に動き出す要素になっているということを忘れないようにしましょう。


3.色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか

質問3.については、『銀の紐を越えて』掲載記事【鹿島神宮の役目】にある回答の通りです。
該当する部分を引用します。

お守りは、神社に祀られている神々の御力を常に身近に感じる事の出来る、とても便利な道具であります。
通常は神社の境内でなければ注がれる事のない御力を、お守りという道具を用いる事で、いつでもどこに居ても注いでいただけるというとても便利な物なのです。
お守りはいわば、携帯式の受信機のようなものなのです。
お札も同じで、貼られている場所や所持しておられる方々に、神々の御力が注がれるための窓口となっております。

ただ、勘違いしないでいただきたいのは、お守りを所持しただけで劇的に事態が好転するなど、奇跡的な出来事が起こるわけではないということなのです。
あくまでも、補助的なお力添えがあるというだけのことであり、皆様ご自身が問題解決に向けて積極的に取り組む事が重要である事を忘れないでいただきたいと思います。
自ら積極的に答えを求め、努力して初めて神々から注がれたお力が活かされるのです。
何もしないで、ただ助けを待っていただけでは、折角注がれている御力も無駄になってしまうのです。
なぜならそのような方々は、折角為になる情報が得られたり、絶好の機会が訪れたとしても、見過ごしてしまう可能性が高くなるからなのです。
皆様ご自身の考え方や心のあり方が、神々から注がれた御力の作用に大きく影響を与えるものであることを忘れないようにしましょう。

ここからは、上の回答で足りない部分の説明を追記します。

お守りはただの飾りというわけではありませんので、お守りを通して送られてくる霊的なエネルギーを適切に活用出来るのかというところが問われてくると思います。
霊的なエネルギー自体には善悪の概念はありませんから、上手に活用出来れば適切な補助を受けることが出来るでしょう。
しかし、上手に活用出来ないと弊害になる場合もあります。
あちらからもこちらからもと、本来必要としている以上のエネルギーが注がれることになれば、当然強い影響を受けるわけですから、多ければ良いという性質のものでもありません。
御自身にとって適切と考えられる程度を推し量る必要があるでしょう。
お守りを持っているから安心なのではなく、お守りを通じて送られてくる霊的なエネルギーによって、神の智慧を借りる事ができ、それらの智慧を上手に活用出来れば様々な問題に対処する術に辿り着く事が出来るのです。
行動するかしないかは御本人次第ということになるでしょう。


4.お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか

お守りを授かることで神々との絆が結ばれていることを考えれば、いつがお守りの返し時であるのかも自然に分かることでしょう。
そろそろお守りをお返しになった方が良いと強く感じたときが返し時です。
それは一年以内かもしれませんし、数年経ってからかもしれません。
新年のご挨拶もかねて古いお守りをお返しして、新しいお守りを授かるという方もおられますので、一年を目安にしてお返しするというのが一番分かりやすいという事はあるかもしれません。


5.家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか

形式に則って礼を尽くすという考え方も大切かもしれませんが、一番大切なのは心のあり方です。
いくら形式を厳密に守っていたとしても、そこに心が伴っていなければ神との絆は生まれることがありません。
心から神々を求め、絆を深めたいと感じているのであれば、自然と行動にもその思いが表れるものなのです。
自然な行動にこそ人の本質が現れており、そこに神々は注目しているのです。


6.神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

これも、先のご質問への回答と同じことで、一番大切なのは心のあり方です。
心が伴っていてこそ行動することに意味が伴ってくるものですから、御自身の心のあり方に注目し、神々に対して何ら恥じるものがないのであれば、あまり気にする必要は無いでしょう。
神々が見ているのは表面的な事柄ではなく、人間の心のあり方であるということを忘れないで下さい。

(2017年2月28日)





この度匿名様から頂いた質問は、神社に関する身近な疑問に答えるきっかけとなりました。
尤も、ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問には、基本的に管理人から回答を差し上げることとしておりますので、その点はご了承下さい。

また、神社を参拝する際の心構えとして、記事【神社を参拝する際に】も併せてご覧ください。

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年2月10日金曜日

炎に包まれた人々

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
今回は日本についてのイメージなのですが、記事の題名から伺えるように、なかなかショッキングな内容となっています。





■ 霊媒Mがみたイメージ

太陽の光が東京の繁華街に降り注いでいます。

絶えず人々が行き交うその街角に立って空を見上げて、しばらく太陽を眺めていると、照りつける太陽の光が一層輝きを増しました。

するとどうしたことか、目の前を往き来する人々の何人かが、急に体が発火してオレンジ色の炎に包まれてしまいました。

照りつける太陽の光と熱が、彼らの体に火をつけたのです。

見る間に全身が炎で焼かれて、傍目にも苦しみ悶えている様子が伺えます。

彼らは日本を敵視し、破壊を目論む者たちなのです。

発火した人々は街中を徘徊し、その身にまとう炎で周囲を巻き込もうとしますが、何回試しても彼ら以外のものには炎が延焼しません。

その炎は、日本に存在することを許されたものには、一切影響を及ぼすことが出来ないのです。

彼らの体は太陽の熱に焼かれながら、逃げ場所を求めて日本海へと飛び込みますが、それでも一向に火の勢いが衰えることがありません。

それでも必死に逃げ続けて、ようやく彼らを苛む炎が消えたのは、日本の領域から完全に離れたときでした。



彼らはオレンジの炎に燃やされながら、自分の口から青い炎を吐いていましたが、それらの炎は空を駆けて彼らの母国へと飛び火し、その国土を青い炎で包みこんでしまいました。

ですから、折角日本から離れて炎の脅威から逃れられたと思ったのも束の間、自分の口から吐いた炎で母国が焼かれる様を目の当たりにするのです。

その青い炎は、彼らとその母国の者たちが、日本との関わりを物理的にも意識的にも切り離された時点で、ようやく鎮火します。

彼らとその国が日本に拘っている間は、その青い炎は勢いよく燃え続けて、全てを焼き尽くすまで衰えることはありません。



さて、東京の街中で人々が発火した頃、国会議事堂の中でも発火する者が相次ぎます。

国会議事堂に出入りする国会議員や公務員などの中にも、日本の破壊を目論む者が含まれており、彼らも街中で発火した者たちと同じ道を辿ります。

例え日本国民であっても、国を破壊する目的で動いているものは皆同様の扱いを受けるのです。

日本で生活すること自体が苦しみとなるため、彼らには日本の外へ出る以外の選択肢はありません。



炎に包まれた人々が日本から逃げ出す去り際に、日本の神様が最後の言葉を投げかけます。

「これまでに態度を改める機会は充分に与えられていたが、それを勘違いして我が儘放題に振る舞ってきたのだから、自業自得であると心得よ」と。

(2017年2月8日)





このイメージの補足として、霊媒Mは以下のように述べています。

  • 日本の領域とは排他的経済水域(EEZ)だそうです。
  • 発火した人は、外国の意向に基づいて日本を破壊する活動に荷担した人々で、日本人と外国人がいます。
  • 発火した人が吐く青い炎は、その人に日本を破壊する指示をした国に飛び火します。
    彼らの精神は、指示を仰いでいる国に帰属しているからです。
  • 日本人で発火した人も日本海へ逃げ出します。
    逃げ切れなかった人は日本で罰を受けますが、その際は全身を包む炎が燃え続けるので、生き地獄の苦しみに苛まれながら残りの生涯を過ごします。
    彼らこそが日本国民を虐げ・搾取し続けてきた元凶ですので、誰も彼らを助けようとはしませんし、助けてはなりません。
    ここで中途半端に情をかけると、彼らは周囲を侮り、欺き、傷つけながら生きることの過ちに気づけません。
    それは彼らが更に過ちを積み重ねる元となりますので、厳しく対処しなくてはなりません。

先月紹介した三つのイメージは、日本と関わりが強い周辺国の動向を示唆していましたが、今回のイメージは日本国内の動向を示唆しています。
そして恐らく、記事【収穫の時が来た】と関連があって、巨大な鎌に刈られて首が飛び散る様子を、更に詳しく表現しているのではないでしょうか。
また、記事【榊に結わえられていたもの[小ネタ]】の日本国内における呪詛返しが、いよいよ国境を越えた呪詛返しへと切り替わる様子にも見えますが、ご覧の皆様はどの様に解釈なさいますか。

Silvercord管理人 





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2017年1月27日金曜日

霊媒Mがみた三つのイメージ(その3)

今回も前回に引き続いて、昨年末に霊媒Mがみた三つのイメージの第三弾を紹介します。

三つ目は朝鮮半島についてのイメージとのことです。





■ 朝鮮半島についてのイメージ

朝鮮半島の地面が大陸側よりも遥か地下深くに沈み込み、海側も海水面より遥か海中深くに沈み込み、朝鮮半島を覆い囲むように海の壁がそびえています。

それは井戸の底にいるようなもので、上を見上げると大陸側は断崖絶壁、海側は海の壁に取り囲まれていて、僅かにその真ん中に空が見えるような状態です。

朝鮮半島の人からは、周りを陸の壁と海の壁に囲まれていて、外の様子が分からないのですが、周辺国から見ると、朝鮮半島だけが遥か地下深くに沈み込んでいる様子が丸見えです。

そして朝鮮半島の地表は、一面が黒い消し炭に覆われています。

そんな様子でしたので、朝鮮半島と外部との接触は殆どありません。

時たま、大陸側の断崖絶壁の上から、地下の朝鮮半島に向かって人が転げ落ちてきて、その人が朝鮮半島を統治することになるのですが、それ以外に人の交流はありません。

朝鮮半島の人々は、天上に僅かにのぞく空を眺めながら、外の世界に対する憧れの気持ちを募らせて行きます。

そんなある時、大陸側の断崖絶壁から転げ落ちて朝鮮半島の指導者となった人が、黄海側の海の壁に向かって槍を打ち込みました。

その槍によって、朝鮮半島を囲うようにそびえていた海の壁に穴が空いて崩れ落ち、そのまま朝鮮半島は海の水に飲まれて、海底に沈んでしまいました。

(2016年12月30日)





今回のイメージと、先に紹介した二つのイメージは、同時に霊媒Mの元に伝えられていますので、相互に何らかの関わりを持っていると思われますが、詳細は不明です。
また、イメージの冒頭部分は朝鮮半島の現状とのことですが、最後がいつ頃を指しているのかはわかりません。
そういえば、以前投稿した記事【夢の中まで追いかけて[小ネタ]】では、日本から見た朝鮮半島が窪地になっている描写がありましたが、窪地でも一応周囲を見渡せる状態でした。
しかしこの記事のイメージでは、周囲を海水の壁で囲まれる「井の中の蛙」状態となっています。
この両者の違いは、時間の経過に伴って、朝鮮半島を取り巻く環境が変化したと見て良いのでしょうか。
それとも…。
ご覧の皆様は、どの様に解釈されますか。

Silvercord管理人 





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2017年1月20日金曜日

霊媒Mがみた三つのイメージ(その2)

今回も前回に続いて、昨年末に霊媒Mが見た三つのイメージの第二弾となります。

二つ目は中国についてのイメージとのことです。





■ 中国についてのイメージ

中国の国土を覆うようにして鎌があるのですが、鎌の柄は腐食して今にも崩れ落ちそうで、とても手で持てる状態にはありません。

鎌の刃は一見すると綺麗に研がれているようですが、刃の厚みが極端に薄くて、ちょっと力がかかると折れてしまいそうです。

そんな鎌の刃に槍が突き立っており、槍が空けた穴の部分から刃に亀裂が入っています。

また、鎌に刺さっている槍には、紫色の房飾りがついています。

そして槍が鎌の刃に空けた穴の辺りから溶岩が湧き出て、中国全土を覆い尽くしてしまいます。

次に、空から無数の破魔矢が飛んできて、中国を覆った溶岩の上に隙間無く突き刺さると、溶岩が冷えて硬くなり、破魔矢ごと地面にがっちりと固定されてしまいます。

そこに、日本の戦国武将を思わせる、鎧甲に身を包んで槍を手にした武者が、馬に乗って現れます。

武者が手にしている槍には、濃紺の房飾りがついていて、先に登場した紫色の房飾りがついた槍と瓜二つに見えます。

武者が手にした槍を中国の上にかざして一払いすると、古来からの中国の土地と他民族が暮らす土地との境目に亀裂が入って、他民族の土地からは破魔矢も溶岩も剥がれ落ちてしまいます。

今度は、西洋風の鉄製の鎧に身を包んで、大きな鋼の棍棒を手にした騎士風の者が現れます。

一見すると西洋の騎士風の者を更によく見ると、実は鎧を着けているのは東洋風の荒くれ者の大男で、鉄製の鎧も西洋風に似せているだけで、本物の西洋の騎士のように洗練されてはいません。

また、荒くれ者の被る兜の上には、山吹色の房飾りがついています。

その荒くれ者が手にした棍棒を、破魔矢が刺さった大地に突き降ろすと、大地に幾つもの地割れが生じて、地割れの境目から火の壁が燃え上がります。

そうして火の壁によって中国が幾つかに分裂されると、誰もその壁を越えることが出来なくなります。

火の壁を越えようとして触ってしまうと、火の壁で水が蒸発して雲となり、その雲から自らの頭上に雨が降るようにして、災いとなって自分に跳ね返ってくるからです。

また、地面に刺さった破魔矢を抜くことも出来ません。

破魔矢を抜こうとした者の手は焼け爛れて、その爛れが全身に広がって瀕死の激痛に苛まれながらも、なお生き続けなくてはならなくなるからです。

(2016年12月30日)





このイメージと前回投稿記事のイメージは、同時に霊媒の元にもたらされていますので、双方のイメージに何らかの関連はありそうですが、詳細は不明です。
そしてイメージの冒頭のシーンは、中国の現状を指していて、時間の経過と共にこのイメージで表現されている経緯を辿ると、素直に読んでよいようです。
ただ、イメージの最後の時点がどの辺りの時期なのかはわからないとのことでした。

ご覧の皆様は、このイメージをどの様に解釈されますか。
ご意見がありましたら、下のコメント欄よりお寄せ下さい。

Silvercord管理人 





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