2011年1月31日月曜日

恨むこと、祟ること

前回投稿した記事【元伊勢三社を訪ねる】に続きまして、同日『北野天満宮』を参拝致しました。
北野天満宮といいますと、学問の神様としても有名な『菅原道真』公を御祭神としておりますが、道真公の生前の事蹟から『祟り神』とも受け取られている方です。
以前、京都を訪ねた折には参拝できませんでしたので、今回は是非にと考えておりました。





例によって、こちらでも霊媒が御神籤を引きました。
そこで、御祭神である菅原道真公にご登場願い、御神籤に込められたメッセージの解説をお願い致しました。







一栄一落これ春秋

咲き盛る春の花も秋には枯れて凋んで終うものであるとのお詩です。
従って常に心を正常に保ち、天神様にお縋りしていけば気運は上昇します。
万事油断することなく自重しなさい。
火難に注意。


菅原道真公
この話『咲き盛る春の花も秋には枯れて凋んで終うものである』には先があって、花とは実を付けるために咲くものですから、そこで枯れて終わってしまうのではなくて、翌年に繋がって行くもの――そこで途切れてしまう、終わってしまうわけではなくて、来年に向けての準備を整えて冬を迎える――そこまで含めて考えるとよい。
そしてまた翌年には芽吹いて花が咲いて…という風に繋がってゆく。
『一栄一落』という風に表現すると、栄えている時期と衰退している時期という風に受け止められるのですけど、『春秋』というと、一つのサイクルとして定まっているもので、それは毎年繰り返される、という風に皆様は想像されると思います。
栄えている時に栄養を蓄えて、衰退する時期に備える。
要するに、物事は瞬間だけを切り取ると良い時と悪い時がありますが、その瞬間の連続を流れとして追ってゆくことで、「何の為にその時期があるのか」が分かる。
物事には必ず意味がありますから、それを一時の感情のみで良し悪しを判断するのではなくて、一つ一つの現象の意味を、時間が一巡りする様子をきちんと見た上で判断しましょう。

管理人
つまり、一つ一つの物事に分断して見るのではなくて、流れで見ましょうということでしょうか。
一つの別々の物事に見えても、その間には何らかの繋がり・関係があります。
その関係を見極めましょうということでしょうか。

菅原道真公
花の話で言うと、枯れてしまうのは悪い現象と受け取られがちですけど、花が枯れた先に実がなったり種がなったりするのは、子孫を残すための準備をしていると考えると、それは一概に悪いこととは言えない。
明日への備えと考えた時に、今この瞬間に、自分自身にとっては不愉快に思う出来事があったとしても、よくよく観察して見ると、実は将来への備えをする為には重要な出来事かも知れない。
それがあることによって、また再び芽吹く時が来た場合に、もしかしたら以前よりも大きな花を咲かせて、大きな実を実らせる事が出来るかも知れない。
その為の準備の時間であるということが言えると思います。
熟成させる期間。
自分自身には無駄に思えても、実はとても大切な働きをしている。
後々になって見た時にそれが良く分かる。
だから、瞬間瞬間だけを捉えてみるのは…。
華やかな時期には意味があるし、花の盛りを過ぎて枯れてしまった後にもそれなりの意味がある。
植物で例えれば、最終的には種を産み出して子孫を増やしてゆくのが目的だから、常により良い実を付けて、種を遠くまで運んでもらったりと、意味があって全てが成り立っている。
だから、一つ一つの現象だけを切り取って判断しようとしても、見えてこない物があって、それは自分自身の役に立って行くものであります。

管理人
なので、『咲き盛る花の時期にあっても、万事油断することなく自重しましょう』ということでしょうか。

菅原道真公
苦しい時期は誰でも気をつけるけれども…。

管理人
調子のいい時期でも気をつけて“程々”を心がけましょうと。

菅原道真公
それが将来的に、自分にとってどういう意味があるのかを考えて見る――それはとても大切なことであると思います。

管理人
では、御神籤の解説については以上でよろしいでしょうか。

菅原道真公
『天神様にお縋りしていれば』とありますが、縋るのではなくて、「天神様のお力に支えられているのだから、これからも頑張って努力してゆこう」という心構えが重要です。
お縋りしているだけで何の努力もしなければ、何も得るものはありません。
だから『縋る』という表現は、間違いではないけれども、勘違いしやすい。

管理人
依存するわけではないと。

菅原道真公
依存する意味ではないです。
そういう意味の『縋る』ではなくて…。

管理人
神様の後押しを受けて、努力を重ねるということでしょうか。

菅原道真公
神とは常に万人に同じように力を注いでいるので、そのことを信じて努力を続ければ…。
「私も神に愛されている存在である」と強く意識して、努力を続けて下さい。

管理人
そうすると神様のお力添えがありますと。

菅原道真公
力添えを上手に活かせるようになります。
お力添えは常にあります。

管理人
それをうまく受け取って活かせるかどうかは、受け手側の問題ということでしょうか。

菅原道真公
そうですね。
同じことをしても、相手によって違う反応が返ってくるという経験を皆様もされていると思いますが、霊的な力もやはり受け手によって反応がまちまちなので、こちらでは同じように注いでいても、その力を上手に活用出来ている人と、全く活用出来ないで無駄になってしまう場合もある。
その力が活きてこない。
ただその力があるというだけで、その人物の行動や生活の中で活きてこない。
そういうこともあります。
その方の考え方や行動次第で変わってくることもあります。

管理人
では、御神籤については以上でしょうか。
それではここで話を変えたいと思うのですが、今回お話を伺っているのが菅原道真公と言うことですので、是非お聞きしたいことがあります。
菅原道真公というと、一時期は朝廷で重用されて重要な役どころを担っていながらも、ある時左遷されてしまって、九州で志し半ばに亡くなられたと伝えられております。
その後、道真公を九州に追いやった関係者に次々に不幸が襲いかかったので、道真公の祟りと言われるようになりました。
それが現在でも続いていて、「道真公は祟り神である」という受け取られ方も一部でされているようですが、私たちが今までに伺った霊的知識に基づけば『祟り神』という存在はあり得ないと思いますので、その点について解説をお願いできますか。

菅原道真公
皆様に一つだけ、これは覚えておいて頂きたいのですが、「人を祟る」とか「恨む」という気持ちは、全て自分自身に還ってきますからね。
相手の方は、その相手の方の心がけ次第ですから、相手の方がどうなるのかはその方の問題。
私自身が祟るか、恨むか、呪うかは私自身の問題ですね。
それで、そういった感情は天に唾を吐くような物なので、全て自分の身に降りかかってきますから、余り意味がないと思います。
そうではなくて、先ほど御神籤の話をしましたが、なぜそのような時期があるのか、なぜそのような立場に置かれているのか、それらを見極めて判断できる、心の冷静さを持つことが大事だと思います。
全ては繋がっていて、例えばその様な現象(=菅原道真公の祟りと言われる現象)がなければ、私は今この様な立場で、今のお役目を授かっていなかったのかも知れないのですね。
全ての現象は一本に繋がっていて、ある意味一つの完成された状態に導かれる為のステップ――一つ一つの準備であると考えます。
だから、先ほどのお話をきちんと理解して頂けた方であれば、良く分かることであると思います。
恨みは――恨んだり、呪ったり、憎んだりという気持ちは、それがそのまま自分を蝕む。
そして、その力がそのまま自分に戻ってくる。
そういう物だと思います。
その様なことをしていたら、私は今のようなお役目は、とてもではありませんが恥ずかしくて受けることは出来ませんよ。

管理人
私は「祟り神」などということはちょっと違うと思っておりましたが、今の世の中でも過去の時代からの言い伝えが残っていますし、霊的な存在に対する理解がなかなか突っ込んだところまで…。

菅原道真公
一つよろしいですか?
祟りだという風に片付けてしまうのは、結局は、原因が自分自身にあることを認めたくない為に、責任逃れの気持ちが形として表れている物だと思います。
祟りというけれども、そういった災いのある場所に居合わせるのは、それなりに意味があることです。
今の私が気づいていないこと、成長する為のきっかけとなる物なのですが、それを「祟られて不幸になった」として片付けてしまっては、自分自身の心根を改めて成長する機会を逸してしまって、対象物に対して宥めよう、鎮めようとしても、余り成長には繋がらないですね。
祟りだと言ってしまうのは逃げの精神であると知りなさい。
人間の狡さですよ。
そこを改めなさい。
何の因果関係もなくて、その様な目に遭うことはないから。
必ずその心根に何か問題がある。
何かを気づかせる為に、その場に居合わせる。
全て、経験は成長する為の教材のような物ですので、良く心得て日々生活してください。

管理人
今のお話は、「耳が痛いな」と思われる方もかなり居られるのではないかと思いますが…。

菅原道真公
誰でも、自分一人では背負いきれなくて逃げたくなることもありますが、だからこそ御神籤にあるように「天神様にお縋りしなさい」とあるのは、天神様は常に万人に手を差し伸べているのですから、その事を信じて精進しなさいという意味で、「お縋りしなさい」と言うことですね。
逃げの口実にしてしまうのではなくて、一歩前進する為に「お力添えをして頂けるから大丈夫だ」と、自分自身を勇気づける糧として頂ければと思います。

管理人
ここまでのお話で、私としては充分実のあるお話を伺えたと思いますが、何か付け加えることはありますか?

菅原道真公
無理をしない、見栄を張らない、相談する。
困った時や行き詰まった時に。
一人で考えていると、段々一つのことしか考えられなくなって、八方塞がりのような気分になるので、一人で悩まないことですね。

(2010年12月24日)





菅原道真公に限りませんが、神社の御祭神として祀られる一方で、祟り神とされている方がおられます。
しかし、菅原道真公が述べておられる様に、人間としても余り褒められたものではない『祟る』、『恨む』、『呪う』という行為にうつつを抜かしている方が、果たして人々の崇敬を集められる様な存在でいられるのか、この際よく考えて見て頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2011年1月30日日曜日

元伊勢三社を訪ねる

今回は、記事【皆様に同じように働きかけています】でご紹介した様に『比叡山延暦寺』を訪ねた翌日、丹後の元伊勢三社と称される『豊受大神社』と『皇大神社』、それから『天岩戸神社』を参拝致しました。



こちらは元伊勢外宮の豊受大神社です。




こちらは元伊勢内宮の皇大神社です。




そして、こちらが皇大神社の奥宮とされる天岩戸神社です。

さて、今回は皇大神社の神様にお話を伺うことが出来ましたので、ご紹介したいと思います。





■ 皇大神社の神様との対話

管理人
今日お招きに預かりましたが、まずお招き下さった目的について話して頂けますか。

霊媒M
ちょっと漠然としたイメージ…。
今来たのは、この世界の延長上に神様の世界があるというイメージ。

管理人
それを?

皇大神社の神様
人は、自分たちの世界と神様の世界は全然別物の、違う存在であると切り分けて考えている方が大勢おられると思うのですが、私たちの姿は未来の皆さんの姿なのです。
皆さんは今この世界で色々学んで、成長するために多くの経験を積んでいますね。
その経験の蓄積の先に、私たちの世界がある。
一本の道として繋がっているんだ。
だからこそ、崇めるのではなくて、もっと身近に…。

(霊媒が通信の内容を上手く表現できない様子)

管理人
よろしいですか。
これは、かつて戦争で戦った英霊の皆様の話なのですが、彼らは今の日本国民からみて、神様という扱いで崇め奉られているのですが、彼ら自身は「肉体があるとないとの違いはあるけれども、私たちはあなたたちと同じだよ」と言っています。
私たち日本国民が、日本国の繁栄と安定を願って日々努力をしているのと同じように、英霊の皆様も霊界の住人の立場から、同じことを願って望んで日々活動をしていますと。
ですから、神様のような全然別の存在として崇めるのではなくて、「私たちと同じ同志なんだ」という感覚を持ってもらいたい――という話を伺っておりますが、趣旨としては似たようなものと言うことでよろしいでしょうか。

皇大神社の神様
大体似たようなものですが、私たちはより多くの知識を得ているので、皆様にとって役立つことを沢山知っていて、生きる姿勢やものの考え方という意味で、目標としてそこを目指す対象として――「将来の私たちの姿なのだ」という意識で接して頂いた方が、注がれた力をより自分のものとして活用しやすくなるだろうし、不可能であるとして諦めることも徐々に減ってくると思います。
何かを目指しても、すぐに諦めてしまう人が多い。
「全然かけ離れた、私たちは相容れない存在なのだと言う意識でみるから、素晴らしいのは当たり前だ」という見方をされると、それはマイナスになる。

管理人
私たちにとって、そういう見方をしていても成長がないと言うことですか?
学ぶものがないと…。

皇大神社の神様
これは他の方も仰っておられたと思うのですが、崇めるというのは一種の依存――崇めるというのは完全に相手に縋って頼ってしまう精神の表れなので、依存以外の何物でもない。
崇めるのではなくて、素晴らしいと思ったら自然に敬う…。

管理人
尊ぶ?

皇大神社の神様
尊敬の念を持って、自らもそうあろうと、その状態を目標として目指す。
それが本来の正しい姿、あり方であると。

管理人
私たちと神様とのつきあい方であると。

皇大神社の神様
そうですね。

管理人
それでは、今回は元伊勢の神社を参拝しましょうと言うことで、外宮の豊受大神社、内宮の皇大神社、それから天岩戸神社を訪ねたのですが、先に外宮を訪ねた時には、余り積極的に働きかけてくるという印象はありませんでした。
一方、内宮では霊媒も神様からの働きかけを充分感じ取っているようでしたが、外宮と内宮とで何か異なった役割を受け持っているのでしょうか。

皇大神社の神様
分かりやすく言うと、外宮で門の中に入った――門を通された。

管理人
内宮と外宮があると、外宮が入り口ですか。

皇大神社の神様
だから、順番に立ち寄ることに意味がある。

管理人
今日は、最初に外宮に伺って、次に内宮に伺って、その次に天岩戸神社に伺ったのですが、その順番に意味があるとのことですので…。

霊媒M
写真を見せてもらえますか?

(ここで霊媒が、外宮で撮影した写真を順番に見てゆく)

霊媒M
あぁ、感じますね。
実際にその場にいた時には余り分からなかったのですが、写真だと強く感じます。
でも、門扉の内に入ったという印象です。

(さらに内宮の写真をみる)

霊媒M
門に入って、神様にご挨拶をして、清めて帰った…。

管理人
外宮で門に入って、内宮で神様にご挨拶をして、天岩戸神社で清めたと言うことですか?

皇大神社の神様
流れとしてはそうです。

管理人
そういう順番で参拝することに意味があると言うことですか?

皇大神社の神様
普通に神社を参拝する順序と同じだと思う。

管理人
ということは、それぞれの場所は離れていても、全体として一つの神社と同じような構造であるということでしょうか。

皇大神社の神様
別にそれぞれの場所を単体で参拝するのでも構わない。

管理人
構わないけれども、その順序で参拝することによって、何か特別に作用する物事があるのでしょうか。

霊媒M
余りよく分からない。
言葉にするのが難しい。

管理人
伝わっては来ている?

霊媒M
ちょっと言葉にできない。

管理人
では、それは結構です。
後はもう一点確認だけなのですが、ちょうどその日は皇大神社を参拝している時には晴れ間も覗いていたのですが、そのうちに雪が降って来まして、天岩戸神社に向かう間にだんだん降りが強くなって来てしまいました。
それでも、参拝している間は一時的に小止みになったのですが、参拝を終えるとまた徐々に雪の降りが強くなって来ました。
ちょうど参拝している時だけでも雪の降り方を抑えて頂いていたのでしょうか。
参拝しやすいように。

皇大神社の神様
本当はよい天気だとよかったのですが、今回はあの状態が限界でした。

管理人
天候は余り良くはなかったのですが、ちょうど参拝の間だけ小止みになったりと、天候の変化が分かりやすい形で観察できましたので、神様のお心遣いを感じることができました。
やはり、元々雨が降ったり、雪が降るはずであったのに、それを無くしてしまうと言うことはあってはならないと思います。
その中でも、雨が降る勢いを弱めてみたり、降る時間を少しだけずらしてみたりということは、時と場合によってはされているのかな――神様のお招きに預かっているとのことでしたので、その片鱗が感じられたと言う意味で確認させて頂きました。

皇大神社の神様
一部の人達の為だけにそういう現象が起きているわけではないので、やるにも限界はある。

管理人
そういった体験はこれまでにも他の場所でしてきていましたので、「今回も…」と、分かりやすく観察させて頂きました。
そこで、そろそろ本題に移らせて頂きたいと思います。
ちょうど皇大神社を参拝した時に、霊媒が御神籤を引きまして、それについての解説をお願いしたいのですが。


玉ちはう かみのめぐみの風受けて
もえ出でにけり のべの若草

時が来れば思うまゝになります
鏡のかげにしたがう様に心正しく行いをすなおにしないと家の中に不和が起って災いが生れます
特に男女の間をつつしめ


管理人
一見したところ、プライベートな物事についてのメッセージの様ですが…。

皇大神社の神様
何事も家庭が基本です。
家庭の中の安定というものは、すべてに影響してきます。
それこそ世界に影響を及ぼす。
だから家庭内の安定というものを蔑ろにしてはいけません。

管理人
今回、私たちは幾つかの神社に参拝したのですが、他のところで引いた御神籤のメッセージは、どれも概ね似通った意味合いが込められているのですが、こちらだけ、他とは異なった視点から見た内容になっているので、一体どういう意味なのかを確認したいと思いました。

皇大神社の神様
家庭、家族というものは、この社会の中で一番小さな集団であるし、それこそが全ての雛型である。
そこが安定していないと、当然安定していない人間が社会に出た時にどのように振る舞うかというと、やはり安定を乱す者となる。
心根の問題。

管理人
ということは、他の御神籤を通じて伝えられたメッセージは、「今後社会的には概ねこの様な方向へ変化してゆくので、それに対する心構え――そういう視点から見た内容だったのですが、その社会とは裏腹にある、社会に対して働きかけるにしても、その基本にあるのは家族ですよと。
自分自身の精神的な安定、充実した心理状態が維持されるには、家族との関係が重要であると。

皇大神社の神様
肝になっている。

管理人
そこを安定させていないと、社会に対して何を訴えるにしても…。

皇大神社の神様
元々自分自身の心が不安定な状態では、社会の現象を見た時にも不安定な状態で世の中を観察することになるので、見え方が不安定になる。

管理人
では、今までに来ていたメッセージに対して、抜けている部分を補足するという意味合いなのでしょうか。

皇大神社の神様
結局、広い視野を持って――というのが、今までの皆様が仰っておられたことだと思うのですが、その広い視野で物事を見る為にも、自分自身の心の安定に努めるのは大切なことですね。
そこが安定していて、初めて広い視野で物事を観察することが出来るようになりますよ。
そして社会の中での取り組みも、安定して行うことが出来ますよ。

管理人
これを最初に見た時にはプライベートなメッセージなのかと思いましたが、今解説を伺って改めて読み返すと、そのまま今の日本の世相に対する忠告として、そのまま当て嵌まりますね。

皇大神社の神様
個として安定する為にも、集団としての安定は不可欠。
どちらも欠くことが出来ない物だからこそ、大切に考えて行かなくてはならない。

管理人
この最後に、「特に男女の間は慎まなくてはならない」とありますが、これは『特に男女の間で意識のすれ違いが見られる』と言うことなのでしょうか。

皇大神社の神様
男女とは言い切れない。
パートナーという表現の方がしっくりくる。

管理人
では、この言葉のままではないけれども、御神籤の中ではこれが神様の伝えたいメッセージに一番近いと言うことでしょうか。

皇大神社の神様
なぜ男女かというと、男性と女性は体の機能が違うし、感情の流れ方も性別でかなり変わってくる。
そういう意味で『相容れないもの』として、無意識のうちに相手を見てしまう。
そういう意識の象徴として、そういうメッセージを選択した。

管理人
相容れないもの…。

皇大神社の神様
本当はそうではないけれども、無意識のうちにそう思い込んでしまう。

管理人
相容れないと思い込んでしまいがち。
そこは特に気をつけたいと言うことですね。

(2010年12月24日)





実は、ここでご紹介した丹後の元伊勢三社を訪ねた後、そのまま宮津へ抜けて『天橋立』から『籠神社(こちらも元伊勢ですね)』へ向かおうとしたのですが、雪が路面を白く覆って積もりそうな気配となってしまいました。
この度は残念ながら雪用の装備を持ち合わせておりませんでしたので、諦めて京都市内へと戻ることにしました。
天候の変化から見た元伊勢三社との比較をすると、神様のお招きを受けていない場合は、これほど極端に天候が変わる物かと呆気に取られてしまいました。
ちなみに、宮津行きを諦めて京都市内に戻る途上で、それまでの降雪が嘘の様に日が差して来る中、次の目的地へと向かったのです。

【Silvercord】管理人 

2011年1月28日金曜日

狡さと賢さは別物

今回は、記事【私たちの責任の果たし方】のコメント欄にお寄せ頂いたはつゆき様の質問について、『霊媒Mの活動をサポートしている神様』の回答を預かりましたので、ご紹介したいと思います。





■ はつゆき様の質問

(前略)

そこで質問があります。
ヨーロッパも中国も、(もちろんアフリカもアメリカ大陸でも)拠点以外の土地では、人類は動物のように奪い合って暮らしていました。
西洋にイエスが誕生したように、古代中国では墨子という、兼愛を説く偉人がいました。しかしキリスト教は夥しい問題を抱えながらも現在までイエスの思想を伝え貫き、拠点が解放できるまで成長できたのに、中国では墨子の存在すら忘れられてしまい、私利私欲に溺れ「神の見捨てた土地」に成り下がりました。
過酷な環境という面では同じだったと思いますが、何故ヨーロッパと中国には、ここまで成長に格差が生まれたのでしょうか?





■ 霊媒Mの活動をサポートしている神様の回答

今現在の欧州諸国と中国を単純に比べる事は出来ません。
何故なら、その行動の中心にある概念が全く異なるものであるからです。
未だに問題が山積しているとはいえ、国家の維持と運営の為に試行錯誤を繰り返し、ようやく今現在に至る欧州諸国と、国家を国家たらしめているものが何であるのかを全く理解していない中国を比べる事など出来ないのです。
今現在の中国は、とてもではありませんが国家と呼べる状態ではありません。
あれではただの烏合の衆のようなもので、確固たる核が存在せず、とてもではありませんが国家という形態を保っているものではありません。
装う事で体裁を繕っているに過ぎず、本質の部分は空っぽであるのが実状でしょう。
今の中国には、何かを自らの手で一から創造するような経験の蓄積がありません。
欧州諸国は、未熟ながらも多くの経験を通じて様々な思想や概念、技術や文化などを創造してきましたが、今現在の中国にはその様な蓄積がありません。
それらの経験の差が決定的な違いとなって現れております。
古代中国とあなたは仰いますが、それはあくまでもあの土地の歴史であり、今現在の中国が蓄積してきた歴史ではありません。
かつてあの地域で暮らした人々が蓄積したものを受け継いでいるならばともかく、受け継いでいるわけでは無い以上、それら先人達の経験は今の中国には何の関係もないのです。

管理を任されている以上当然の事なのですが、私たちは決して人間を見捨てたりはしません。
私たちが見捨てたのではなく、彼ら自身が私たちの手を跳ね除けたのです。
自ら跳ね除け、未だに私たちの手を取ろうとはしません。
それは彼らが自ら選んだ道であり、私たちが罰を与えているというわけではありません。
私たちは、いつでも、誰にでも、全く同じ様に援助の手を差し伸べておりますが、その手を取るのか否かは皆様の考え方次第なのです。
そこのところを勘違いされませんように。

これは中国だけではなく全世界的に言える事なのですが、今後大きく飛躍したければ、自分達も人間である事を悟る必要があるでしょう。
自分達も人間である事を悟った上で世界を見渡せば、今までは見えてこなかった多くの事柄が見えてくるでしょうし、理解できなかった事柄も容易に理解できるようになるのです。
特別意識や優越感は国を衰退させますし、それとは逆に、卑屈な精神も国を衰退させます。
貴賎や優劣に囚われるのは不安の表れであり、自分の弱さを曝け出す行為であるのです。
狡さは弱い精神の現れであると知りましょう。
謙虚に学ぶ姿勢こそが、とても大切なことなのです。
狡さと賢さは全くの別物です。
常に賢くあるように努めたいものですね。
自分の選択の非は自分自身にある事を自覚していれば、着実に一歩ずつ成長できるでしょう。

(2011年1月28日)





この度、「霊媒Mの活動をサポートしている神様」という方の存在を初めて知らされましたので、どの様な方なのかは私にもよく分かりません。
折を見て話を聞かせて頂けるようですので、何か分かりましたらご紹介したいと思います。

【Silvercord】管理人 

2011年1月22日土曜日

日本だからこそ出来る事

今回は、記事【それぞれの立場から見た戦争】のコメント欄からお寄せ頂いたNK様の質問について、「二十三歳で戦地で亡くなった」と述べる英霊の方の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ NK様の質問

管理人様、霊媒M様いつもコメントを有難うございます。上の方のご質問に便乗いたします。霊界の方にお聞きしたいと思います。
いつも思う疑問があります。先の大戦が侵略ではなく、日本国民とアジアの人々の為であったのなら、なぜ日本に原爆が落とされなければならなっかたのでしょうか?しかも2回も。
今も後遺症に苦しんでいらっしゃる方が沢山居られます。どんな理由があったのでしょうか?教えてください。

(後略)





■ 英霊の方の回答

NKさん、はじめまして。
僕は大東亜戦争で一兵士として戦った者です。
これからお話しする事は、あくまでも僕の個人的な考えなので、そこのところは御了承ください。

動機が正しければ実現するための手段は何でも良いのかと言えば、必ずしもそうとは言えないのだと思います。
当時の日本は選択を誤ってしまったのかもしれません。
だからこそ、日本は大きな傷を負い、敗戦に追い込まれる結果となったのでしょう。
どのような結果にも、必ず原因がありますよね。
原爆が2回も落とされ、その他にも多くの街が焼かれました。
大勢の日本国民の命が失われました。
日本をこのような結果に導いてしまった原因は一体何であるのかを、きちんと検証して理解しておく必要があると思います。
動機が何であれ、きちんとした手順を踏まなければ多くの人々が傷つき、苦しむ結果となってしまうのです。
どれだけ立派な大義名分があろうとも、手段を誤ってしまえば結果が大きく変わってしまうのです。
日本が傷ついたのは、選択の誤りによる相応の結果であったというのが僕の考えです。
思うとおりにならない事や、上手く行かない事は皆さんにも経験があると思いますが、そういう場合は必ず何か見過ごされている部分があると思うのですね。
その見過ごされている部分が何であるのかを結果から学び取る事が出来なければ、永遠に同じ事を繰り返してしまう事になります。
人間がやることですから、完璧はありえないと思います。
だからこそ、己を省みる時間はとても大切であると思うのです。
それと同時に、周囲を顧みる事もとても大切ですよね。
独り善がりでは何事も上手く行きませんから。

原爆の影響で大勢の方々が今も後遺症に苦しんでおられるのは、本当に、とても辛い事です。
一日も早く、彼らが抱える後遺症を解決できる医療技術が完成される事を切に望みます。

それでね、僕、思うのですよ、安心を実現する為に日本だからこそ出来る真の解決策があると。
報復合戦をしていたら何時までも解決出来ないけれど、日本人の気質を思えば報復合戦の様な事はあまりありえないですよね。
問題の根本の部分を解決しようと考えると思うのです。
二度と戦争を起こさないために今出来る事を試みると思います。
日本は何に対しても旺盛だけど、欲張りでは無いと思うから、全てを独り占めしようとは考えないでしょう。
だからこそ出来る事があると思うのですよ。
核兵器をいくら保有しても、真の安心には繋がらないと思うのですよね。
逆に、自国すら脅かしかねない代物であると思うのですよ。
だって、そうでしょう?
核兵器の威力を無効化できない以上、保有しているというだけでも常に危険と隣り合わせという事になると思うのです。
それは、例えば原子力発電所のような資源利用している施設でも同じだと思いますが、一度何か不測の事態が起きれば一溜まりもありませんから。
当然、今の技術力で出来る充分な備えをしていると思いますが、それだって人間がやる事、完璧では無いのだから、もしもの事態があるかもしれません。
いつ想定外の事態が発生するとも知れないのですから、核の威力を相殺出来るような技術が必要だと思うのですね。
核の威力を相殺出来るという事は、核兵器が抑止力としての意味を成さなくなる事とイコールなのですよね。
世界中の人々が安心して暮らせるようになるには、核を資源として安心して利用出来るようにするためにも、そういう技術はこれから必要になると思います。
その技術はどこか一国で独占されるべきではないと思うし、そのためにも日本に出来る事があるとも思っています。
日本には真の幸福の為に出来る事がまだまだ沢山あると思うし、また、それだけの度量も備わっていると思うのです。
だからこそ、日本は世界の真の安心と安定を実現するための先駆けとして充分に働けると僕は思います。

これはあくまでも僕の考えだから、神様や仏様には何か違うお考えがあるのかもしれません。
僕には神様や仏様が何を考えて日本に試練をお与えになったのかは皆目見当がつきませんが、それも深いお考えがあっての事であると思うし、日本ならばその試練を見事乗り越えることが出来るとお考えなのかもしれませんね。

(2011年1月17日)





英霊の方は以上の様に述べておりますが、ご覧の皆様はどの様な感想を持たれましたでしょうか。
日本に原爆が落とされた事情については、幾つかの複雑な要素が絡んでいる様な気がします。
それまでの日本の行動に何らかの誤りがあった――その結果として表れた要素もあるのかも知れませんが、もっと別の要素も関係していると思います。
その辺の事情については、現段階では詳細に明かされている訳ではありませんが、私たち日本国民がもう少し冷静に物事を考えられる様になり、安易に脊髄反射的な行動に走る愚を充分に理解したと見える様になれば、もう少し詳しい事情を教えて頂けるのかも知れません。

【Silvercord】管理人 

2011年1月20日木曜日

初詣の御神籤から

既に記事【初詣】でもご紹介しましたが、今年の元日は『明治神宮』と『東郷神社』を参拝致しました。
その際に引いた御神籤が、当Blogをご覧の皆様へのメッセージとなっているようですので、順番にご紹介したいと思います。







最初にご紹介するのは、明治神宮です。
明治神宮は明治天皇・昭憲皇太后をお祀りしておりますので、御神籤も明治天皇御製及び昭憲皇太后御歌からなっております。
今回は、こちらの明治天皇御製について、『明治天皇』と名乗る霊にご登場願い、解説をお願いいたしました。






明治天皇御製
折にふれて
さまざまのうきふしをへて呉竹の
よにすぐれたる人こそなりけれ


明治天皇霊
竹のように多くの節を持つ――様々な出来事、苦難にあっても折れることなく対処できるようになるためには、多くの経験の中から様々な事柄を学ぶ必要があります。
様々な苦難を経験して、初めて竹のような強さを得ることが出来ますので、乗り越えた苦難の数に応じて、人は竹のようにしなやかに成長して行く物です。
己の力量を知らずして、苦難を乗り越えることは出来ません。
己を知り、更なる成長を求めて精進されるのがよろしいでしょう。

(2011年1月1日)







続きまして、明治神宮の近くにある東郷神社に参拝し、こちらでも御神籤を引きました。
この御神籤については、御祭神である『東郷平八郎』と名乗る霊に解説をお願いいたしました。



定めなき 風にまかする 菊の香は
夜昼もなく 暁もなし

職責を果たさんと励んでゐる時良心は菊の香のようにただようものです。功利を追ふことを慎みなさい。損得を秤るのは人間で、神は人の良心をはかる。職務にやゝ熱心が足りない。


東郷平八郎霊
己に利することを求める心には、独りよがりな身勝手な心が反映された姿であって、己を利することのみに囚われている状態の時は、周囲に対して目が向いていない状態であるので、周囲への無関心が自分に返ってきます。
『神は人の良心をはかる』とありますが、対人関係でも同じ事で、利益追求ばかりをしている人間の周りには心の繋がりがありません。
心が繋がっていないことによって、一時は繁栄することが出来ても、何か一つ綻びが出来た時に脆く崩れ去ってしまう。
己の為すべき事をよく理解して、そこへ向けて精進して行く、真摯に取り組む姿勢は、その姿そのものが人を引きつけ、幸いを引き寄せます。
利益とは、得ようと思ってかき集める物ではなく、己の心掛けによって後から付いてくる物であることを知りましょう。

(2011年1月1日)





本来でしたら、年明け早々にもご紹介したいと思っておりましたが、プライベートの事情により、公開が遅れてしまいました。
何とか一月中には間に合いましたので、この御神籤に込められた言葉を、今年一年を過ごされるに当たって参考にして頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 





1月20日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月8日土曜日

年明けと共に日本の夜が明ける・補足

今回は、記事【年明けと共に日本の夜が明ける】の補足として、遠江國一宮『小國神社』の御神籤について、追加の解説をして頂きましたので、最初にこちらからご紹介したいと思います。



さて、こちらは上記記事で既にご紹介しておりますが、追加の解説はこちらについてです。

『言』
自圭の玷けたるはなお、磨くべし。
斯言の玷けたるは為むべからず。
(御神籤には「自圭」とありますが、「白圭」が正解のようです。誤植でしょうか)


小國神社の神様
玉は磨けば元に戻るとありますが、そもそも大切に扱っていれば傷は付きません。
言葉もそれと同じで、人間の交流に言葉は不可欠ですが、言葉をよく選んで交わす事によって、関係が傷つくことなく良い状態を保てます。
もし関係に傷が入る事態に陥っても、玉を磨くように弛まぬ努力を続けましょう。
時間は掛かりますが、必ず修復される時は訪れます。
関係を修復する中から、己が犯した罪の重みを知りましょう。
そこまで読み取って頂けると、より一層成長に近づけると思います。

(2011年1月4日)





次にご紹介するのは、琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する『竹生島神社都久夫須麻神社)』です。



残念ながら、本殿の修復工事が行われておりましたので、ご覧のような状態でした。

これだけでは少々寂しいと思いますので、同じく竹生島に鎮座する『宝厳寺』より、国宝の唐門と本堂です。








さて、竹生島神社でも御神籤を引いておりますので、続けてご覧下さい。
解説は竹生島神社の神様にお願いいたしました。



「運勢」
何ごとも思うようになります。
しかし、油断はいけません。
いまから来年の計画をたて、充分の用意をしておくことです。


竹生島神社の神様
こちらは読んで字のごとくなのですが、年が明けてしまいましたので、新しい動きに向けて今のうちに準備を整えておきましょう。
何事も「思い通りに物事が運んでいる」と思う時ほど隙が出来やすいので、どの様な状態の時であっても油断せずに、準備を怠らないようにしましょう。


『言』
その家を救う可からずして
能く人を救うる者は之れなし。


竹生島神社の神様
大局にばかり囚われて、足下にある小さな事柄を疎かにしてはなりません。
小さな事柄を成し遂げられない人間は、大きな事も成し遂げられません。
「親が全然話を分かっていない」という不満を言ってしまう状況で、どの様にして周囲の多くの方々に言葉を聞いて頂けますか?

管理人
そこで伺いたいのですが、人によって判断の分かれる事柄に付いては、まず聞く耳を持っている相手に話を伝えて理解を得る。
そして、なかなか話を聞いてくれない人(ここでは親)については後回しにして、まず自分が理解者と共に動いて実績を作る。
その上である程度の実績が見える段階になったところで、聞く耳を持たない人に改めて話をするという手順を踏めば、言葉の裏付けとしての実績がある分だけ、耳を傾けて貰いやすくなると思うのですが、いかがでしょうか。

竹生島神社の神様
それは、言葉を受け入れない事で家族を見限っているのではなくて、可能性を広げる為に今出来る事を行っているので、「あの人は話を聞かないから駄目だ。何も分かっていない」と批難しているのとは違うのではないでしょうか。


そして御神籤の裏側です。



『教え』
小事にも徹する人は、大事を成しとげる力を恵まれる。


竹生島神社の神様
小さな事を疎かにする方は、何かと抜けていると言いますか、見落としている部分がありまして、一見成功しているように見えても、実は綻びがあって、内部から崩壊する事態を招く場合もありますので、何をする場合でも丁寧を心がけましょう。


『天のみこえ』
暑しとも いわれざりけりにえかへる
水田にたてる しづを思へば


竹生島神社の神様
大変な思いをしている人が居るのに、不満を言う事も出来ないという意味になりますが、そこで終えてしまうのではなくて、その不満を解決する方法を考えましょう。
状況を改善する方法を考えた方が良いでしょうという話です。

(2011年1月4日)





さて、今日の最後にご紹介するのはこちらです。




こちらは滋賀県の山王総本宮『日吉大社』です。
こちらでも御神籤を引いておりますので、ご紹介したいと思います。



吹きあるゝ 嵐の風の末遂に
道埋るまで 雪はふりつむ

(親類まで災をして思うに任せず心痛する事多し 何事も時の来るまで天にまかせて 静かに身を慎んで居れば雪の朝日に消える様に楽しい時あり 今は何も控えよ)

日吉大社の神様
嵐の勢いが激しい時に、嵐を抑えようと無理をしても、なかなか物事がうまく運ばずに、成果が見えてきませんので、嵐の中に飛び出すのではなく、家の中で出来ることを行い、来るべき時に備えましょう。
そして来るべき時が訪れた時に迅速に動けるように、今出来ることに尽くしましょう。
今事を急いて、無理に物事を推し進めようとしても、決して上手くは運びません。


そして御神籤の裏側です。



『神の教』
かわる此世にかわらぬ物は、神のめぐみと日の光り
私共を御いつくしみ下さる神様の御心は、大空に照り渡る太陽の光りの様にいつ迄立っても変らない。それなのに、ともすれば、私共の心が神様からはなれる。神様にそむいて逃げまわる。屹度其時、心に暗いかげがさす。不安が伴なう。不幸が出来、不幸が湧いて来る。


日吉大社の神様
神という存在は、いつの世でも変わりなく、同じように恵みを注がれております。
人間は時として、恵みに目を向ける事が出来ずに、自ら神の手から逃れてしまう行動をとる場合がありますので、人間であると言うこと、神という存在との関わりを、日々の生活の中から経験を通してより深く理解して頂けると、不幸を感じる機会も減りますし、より安定した生活が送れると思います。

(2011年1月4日)





それぞれの御神籤を見比べて頂くと、ある特定の方向性のメッセージが重ねて強調されている様子が伺えると思います。
神様や霊界の住人は、この様な手段を通じて私たち人間に向かって語りかけているのです。

【Silvercord】管理人 





1月7日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月6日木曜日

目的を見誤らないように・補足

今回は、記事【目的を見誤らないように】の補足として、『増上寺』を訪ねた際に引いた御神籤をご紹介したいと思います。
霊媒によると、当Blogをご覧の皆様へのメッセージとのことです。




『吹く風に 沖辺の 波の 高けれど
心静けき 我港かな』

これ迄の幸福があるのは神の御恵と祖先の守護によるものなので安心せず自分も人を慈しみ世の為めに尽くせばいよいよ運盛に他所は嵐吹きても自分の所に何事もなく幸い多し


こちらの御神籤について、徳川将軍家の皆様より補足説明を頂きました。





徳川家の皆様
こちらの歌に関しては、解説文にある通りの意味で捉えて頂ければ分かる事であると思います。

管理人
何か追加する事はありますか。

徳川家の皆様
今自分自身の手の内にある物は、解説に書かれているように、神々のご助力と先人たちの努力の上に成り立っておりますので、今ある物を維持し更に発展させたければ、自らが努力して発展のために力を尽くす事が不可欠です。





本来でしたら、この御神籤はもっと早くにご紹介した方が良かったのですが、諸々の事情により今回のご紹介となってしまいました。
この他にも、当Blogをご覧の皆様へのメッセージを込めた御神籤がありますので、準備が出来次第順次ご紹介したいと思います。

【Silvercord】管理人 





1月6日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月5日水曜日

私たちの責任の果たし方

今回は、記事【それぞれの立場から見た戦争】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問について、英霊の皆様の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ はつゆき様の質問

私は、戦争というものは兵士同士が行うものだと思っています。
兵士同士で戦うぶんには何の恨みもないのです。どんな卑劣な作戦だろうが非道な手を使おうが、「戦争とはそういうもの」と納得はできます。殺し合いはお互い様ですから。

しかしアメリカが日本に犯した罪は「戦争」ですか?
一方的に一般市民を無差別に10万人以上殺すことが「戦争」ですか?
私はそうは思いません。
これは「虐殺」です。だからこそ怒りが止まらないのです。
前も同じようなことを書きましたが、何度でも書きます。これは虐殺だと。

私が怒っているのは戦争にではありません。虐殺にです。
虐殺した大将はこれにも飽き足らずにドイツで、ベトナムで同様の罪を犯しました。キューバ危機の最前線に立って、核兵器でキューバを滅ぼそうとしました。
キューバ危機だけは未遂に終わりましたが、これを人類に対する罪と言わずに何と言えば良いのでしょうか?
ルメイの心に仲間を守りたい、国を守りたい思いがあったことは真実でしょう。しかし思いが正しければ虐殺が許されるのですか?この男はあと一歩で人類を滅ぼしたのです。私たちの未来はもちろん、生存すら許さない世界を構築しようとしたのです。
人類が滅びる、ということは自分も殺される、ということです。自分を殺そうとした相手に敵意を向けるのは当然のことではないでしょうか?

もう亡くなった方にとっては、戸惑い苦しみながらも「死ぬこともひとつの経験」だと思えるのかもしれません。しかし今ここで生きている者にとって、死は絶対の別れです。少なくとも私には。
この世界と天国とは絶望的な距離と壁があります。物理的に相容れない、ごく一部の方を除けば目にも見えず、聞こえず、感じることもできない異世界です。
異世界間交信でどれだけ学び、慰められたか…通信に関わる方たちの多大な慈悲には心から感謝しています。しかしそれでも、二度と見れないし声も聞こえない、抱きしめられない場所にいることには変わりありません。
その事実が本当に苦しいのです。実体がないことがどれほど苦しいか。大事な方がそちらにいるから尚更そう思います。
そんな世界に愛する人を追いやられ、自分も追いやられそうになった相手を憎むなというのは理不尽で、相当に酷なことに思えます。頭で悪いことなのは承知していますが、心が納得しません。

別の方の通信で怒りが湧き上がる点を客観化せよ、と忠告がありましたが、3カ国で30万人もの一般人の虐殺と人類滅亡寸前まで追い詰めた罪を客観化しろと言うのは、無謀です。動機が正しくても人類滅亡させられたら、堪ったもんじゃありません。
この袋小路の突破口を探し続けてますし、なんとなく見つけたような気もしますが、今でも決定打に欠けます。直接言語で尋ねる時期に来たと思うので、質問させて頂きました。
彼らが犯した罪は戦争なのか虐殺なのか、ということと、客観的に視るにはあまりにも難しい大罪に、どう向き合うべきなのかを。

そしてもし、これすらも戦争と呼ぶのなら、これほどの虐殺を防げなかった日本軍の方々にも守れなかった責任があるということになります。そのように解釈しても良いのでしょうか?
大変失礼な物言いになっていることはお詫びしますが、率直に伺いたいのでこのような表現になりました。





■ 英霊の皆様の回答

理解できないものを、無理に納得しようと焦る必要は無いと思います。
彼らが大罪を犯したと、あなたご自身がそのように思うのであれば、現時点ではそれで良いのでは無いかと思います。
ただ、一つだけお願いしたい事があります。
あなたが最終的に成し遂げたい事は何であるのか、どのような未来を望むのか、それらの事をよく考え、目的達成のために今出来る事、今成すべき事は何であるのかを探り、実践する事が大切であると思うのです。
愛する者たちを守るために、一番大切にしなければならないものは何であるのかという、基本的な部分だけは見失わないでいただきたいのです。
あなたの持つ感情は、果たして愛する者たちの未来を守る結果に導けるのでしょうか?

悔しいですよ、とても、とても、言葉では言い尽くせないくらいに。
己の命を懸けてでも守りたかった命が、大勢の命が失われた事は。
大勢の命を未来へ繋ぐためにした事が、多くの命を削る結果になろうとは…。
守れなかった多くの命、愛する者が失われた悲しみを抱きながら生き続ける人々、その大勢の命に、思いに対する責任を負うのはとても重い。
重くて、重くて、押しつぶされそうです。
果たしたくても果たせなかった事、どんなに無念であろうか。
それでも私たちは背負い続けるのです。
日本が真の安定を実現するその日まで、私たちの戦いは続くのです。
守られた多くの命、彼らが繋いだ新たな命、日本国民である皆様が安心して暮らせるようになるその日まで。
それが私たちの責任の果たし方であります。

(2011年1月5日)





このテーマについての私の意見は、記事【カーチス・ルメイ霊の言い分】のコメント欄で述べておりますので、ここでは繰り返しません。
日本の夜明けを迎えて、『戦後体制からの脱却』へ向けた動きが徐々に活発化して行くと見ておりますが、『日本の戦後体制』を精算する上で避けて通れないテーマであると思いますので、ご覧の皆様もこの際に考えて見てはいかがでしょう。

【Silvercord】管理人 





1月5日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月4日火曜日

日本国民が居なくなるような事はない

今回は、記事【遠征中2】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問について、霊界の住人の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

日本人の人口減少について。
専門家の推測によると、50年後には人口が7000万人になるそうです。
私としては、わが国は世界で一番の人口密度の高い国であり、
国土の割には人口が多いです。明治の時には5000万人、江戸時代は3000万人しか人口がなく、それで何も問題はなかったのです。

自然の還元能力には限界がありますので、むしろ、自然の恩恵のみで生活をするには、江戸時代あたりの人口でいいのではないかと思っています。が、不安もあります。

本当に大和民族がいなくなってしまうのではと。

経済連あたりが、人口が減少ということで、移民政策を押し進めています。
最終的には、日本にすむ大和民族がいなくなり、外国人だらけになってしまうのではと。
これでは日本の弥栄、大和民族の弥栄、皇室の弥栄がなくなってしまいます。

日本人の人口減少という、現象について、霊界からなんらかの意思が働いてそのようになっているのでしょうか?
よろしくお願いします。


上記質問者です、質問の補足です。

男女共同参画、個人主義、家族解体政策(GHQによる日本伝統の大家族制の破壊、核家族化、今進めている、夫婦別姓、親子別姓等いろいろ)をすれば、人口減少するのは当たり前ですが、それとは別に霊界の意思が働いているのか、という意味です。よろしくお願いします。





■ 霊界の住人の回答

人口減少についてはあまり神経質になる事はありません。
世代による偏りの激しい今の人口比率を基準に物事を考えるから、収まりが悪くなってしまうだけの話です。
これからの未来も、この日本という土地を大事に守ってゆく国民が必要なのですから、日本国民がいなくなってしまうような事はありません。
一定の人数はこれからも生まれ続けますし、絶滅してしまうような心配をする必要はありません。
移民政策については、過ぎた行いがどのような結果をもたらすのかは、欧米諸国ですでに実証済みのことでしょう。
今現在、欧米諸国ではどのような動きが起きていますか?
それらの現実を目の当たりにしていながら、あなたは何も対策を施さないで、事の成り行きに身を任せるおつもりなのですか?
現時点であなたに出来る事は何もないのですか?
問題であると思うのであれば、自ら率先して働きかける事です。
どのように小さな働きでも良いのです。
出来る範囲内でコツコツと努力を続ける事が、やがて問題を解決に導く力となるのです。
不安は何もしなければ不安のままで終わってしまいますが、自ら行動を起こすことで希望に変化する事もあるのです。
未来を作るのは、一部の権力者の力ではありませんよ。
彼らとて、国民である皆様の協力が無ければ何も実現できる力など無いのです。
どうかその事を忘れないで下さい。

(2011年1月3日)





以前投稿した記事でも度々述べていると思いますが、霊界の住人は私たちに支援の手を差し伸べ、また参考となるアドバイスを頂けますが、私たち人間の意思に介入して歪めてしまう訳ではありません。
質問者様が問題と感じておられる点は、全て人間の手によって行われた物事の結果として表れております。
是非、その点を十分ご理解頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 





1月4日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月3日月曜日

皆様に同じように働きかけています

先日投稿した記事【偏りには偏りが還る】の続きとなりますが、『比叡山延暦寺』を訪ねて回る途上、阿弥陀堂の辺りで霊媒が突然「目がうるうるとしてきた」と言い始めました。


その前に居た根本中堂の辺りでは特に何も述べておりませんでしたので、急激な心境の変化の裏には何かがあると感じ、その点をきっかけとして阿弥陀堂のご本尊である『阿弥陀如来』様にお話を伺う事としました。





■ 阿弥陀如来様との対話

阿弥陀如来様
私たちは、常に皆様に同じように働きかけています。
私たちが皆様に接する場合は、立場や国の違いなどという隔たりはなくて、誰にでも同じようにエネルギーは注がれていて…。

霊媒M
(阿弥陀堂に近づいた時に)境界がない感じがした。
要するに、肉体に宿っていると個としての自分自身を自覚しているのだけど、あの場所に満ちているエネルギーと一体となった様な――嬉しいというか、喜びに満ちあふれたエネルギーが誰にでも分け隔て無く与えられている。
それで多分うるうると来てしまいました。

阿弥陀如来様
常に私たちは、皆様に同じようにアプローチしていて、後は皆様がどの様に受け止めるか、どの様に活かして行くか。
訪れた方がどういった立場のどういう考え方の方でも、悪いように作用するエネルギーは決して降り注がれる事はなくて、常に「その方にとっての成長や喜びなどが実現されるように」という願いが込められているので、もし願掛けをしても思うと通りにならなかったと感じている方も大勢居られると思いますが、そういう場合は自分自身の行動を振り返ってみて頂きたいのです。
その結果には、必ずあなた方ご自身にとっての学びがあるはずです。
それは、必ずあなた方の幸福や喜びに繋がって行くための一つの経験ですから、そこで不幸に打ちひしがれるのではなくて、苦しい経験から学び取る。
その苦しい経験から自分を知る――自分の至らない部分を知る。
そういう努力をされると、より一層人生が豊かになると思います。

管理人
日常生活を送る上でのアドバイスですね。

阿弥陀如来様
皆様に取って、今この瞬間はとても辛い状態であったとしても、今現在経験している辛いという結果は、必ず未来の喜びや幸福に繋がって行くので、その辛い経験をどの様に捉えて、どの様に活かして行けるのかが今後の課題になってくると思います。
必ず今の辛い、不快な思いをした事で何かを学び取っている筈ですから。
学んでいない方は誰一人としていないので。
経験するという事は、ほんの少しかも知れないけれども、目に見えないくらい少しの歩みかも知れないけれども、ちゃんと前に進んでいるから、今の瞬間だけを見て苦しまないで下さい。
苦しみを乗り越えた先には、必ず喜びとか、楽しみとか、幸福が待っているから。
幸福に早く辿り着くのか、時間が掛かるのかは、皆様の考え方次第ですよ。
私たちは常に皆様の事を思って支えているので、あなた方自身が積極的に前へ進もうと思った時、皆様に同じように降り注がれているエネルギーが活きてきますから、気持ちの問題で、常にこの世界に溢れているエネルギーを活用できますよ。
常にあなたの隣に、すぐ側にいて、時には手を握っていたり、時には抱きしめていたり、隣に寄り添っていたり、私たちはそういう存在なのです。

管理人
霊媒さんがよく「すぐそこに霊が浮かんでいます」と言いますが、そういう事ですね。
今日も沢山のお迎えの方(=霊)の守護があったようですが…。

阿弥陀如来様
お招きしているので、出来れば十分に楽しんで、「ああ良かったね」と思いながら家路について、後で「あそこが良かったね。ここが素晴らしかったね」と思ってもらえる旅になった方が、気持ちが繋がりやすいし働きかけやすいのです。
だから、来て頂いている方には、皆様楽しんで頂けるような気持ちでいます。

管理人
ありがとうございます。
では最後に、比叡山を訪ねた印象を、霊媒さんから述べて頂けますか。

霊媒M
これか個人的な印象なので、人によって感じ方は様々なと思いますが、私にとって比叡山という場所は気持ちが安定するエネルギーが発せられている場所で、いわゆる無我の境地を体験できる場所だと思いました。
自然に安定した状態になれるので、欲望が先走るような感覚がない――結果、多くを求めないので、擬似的なのかも知れませんが、無我の境地に近い心境を体験できたのではないかと思います。
そして、比叡山のエネルギーは無理に抑制されているのではなくて、気持ちが乱れることなく、自然に安定へ向けて制御できるような印象を受けました。

(2010年12月23日)





神社・仏閣などを訪ねた折りに、願掛けをする皆様の姿を見かけます。
特に年始の三が日は、初詣に訪れて様々な願を掛ける方も多いのではないでしょうか。
中には、願を掛けても叶わないどころか、不快な物事や不運が立て続くと感じている方も居られると思います。
その様な方にこそ、今回の記事をご覧頂いて、これまでのご自身の考え方や行動を振り返って頂ければと思います。
神様や仏様は、今この瞬間のあなた方の希望を叶えるために働きかけるのではありません。
長い目で見て、あなた方の成長に寄与する方向の働きかけを続けておられます。
その支援の手を掴み取って活かせるかどうかは、あなた方の考え方と行動に掛かっております。

【Silvercord】管理人 





1月3日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月2日日曜日

偏りには偏りが還る

今回は、記事【自衛隊基地はパワースポットだ】の続きとなりますが、翌日『比叡山延暦寺』を訪ねました。




こちらの根本中堂にお祀りされているご本尊『薬師如来』様(正確には『薬師如来像に宿る霊』)のお話を伺う事が出来ましたので、ご紹介したいと思います。





■ 薬師如来様との対話

管理人
今日はお招きに預かったとの事ですが、まずこの度お招き頂いた目的について教えて頂けますか。
恐らく、霊媒を通じて私たちに伝えたい事があるのではないかと思うのですが。

薬師如来様
本格的に事態が動き出すのは来年(=2011年)以降になるので、この年末年始のお休みの間に、今までの活動を振り返って、自分の中で整理・総括をして、来年事態が動き始める段階になった時に「どの様に動けばよいのか」を予め計画を立てておく事によって、事態がより速やかに動くようになります。

管理人
事態が動き始めるという事ですが、どの様に動くのでしょうか。

薬師如来様
極端な偏りが起きているので、逆の働きが現れてきます。
偏りには偏りが還ってきます。
最初のうちは過剰反応してしまうので、少々荒れるでしょう。
しかし、時間が経つにつれて偏りが静まって、安定して来るでしょう。

管理人
では、偏りの正体について、もう少し詳しい説明をお願いいたします。

薬師如来様
今年は自分たちの選択の結果、苦しい状態に追い込まれたと感じる方が大勢居られると思うのですが、苦しみを感じてしまったために、今度は苦しみから逃れようとして、「こちらが駄目ならあちら」という風に単純に動いてしまう。
先を見据えないで、ただ逃れたい一心で動く時には、自分の中でバランスがとれないので、安定性を欠いて偏りが強く出てしまう。
今年(=2010年)は特に偏りが強く出た年だと思うので、来年は逆に振れる。

管理人
来年は逆に振れますか?

薬師如来様
逆の方向に強く振れる傾向にある。
そこで逃れたい一心で逆の方向に振れますが、今度逆の方向に振れても、きちんと中身を見て行動していないと、また不具合が出てきます。
その様な時にどうするのかを冷静に考えられるようになっておくと、フラフラと不安定な状態の期間が比較的短くて済むので、今のうちから可能性と、その可能性に対する傾向と対策を考えて、心構えをしておくと良いでしょう。

管理人
今のお話はよく分かりました。

薬師如来様
逃げるのではなくて、見つめてみることですね。

管理人
物事が起こっている原因とか仕組みを理解するというか、そこに目を向けるという事でしょうか。

薬師如来様
それから、分からない人に対して優越感を抱いては駄目ですよ。
むしろ「分かっている」といいながら、その様な考え方をしている方が問題です。
知らない事は誰でも出来ないのであって、「あの人たちは分かっていないから駄目だ」という考え方をしている方は、その様な考え方をしてしまう心根が、実はあなた方が一番嫌っている人々と同じような心の状態に陥っている。
ただ見つめている部分が違うだけだという事に早く気付かないと、誰も話を聞いてくれないし、反発される一方になってしまう。

管理人
「彼奴は分かっていない」と言っている人に限って、意外と自分で言っているほどには分かっていないのでしょうね。
結局、理解が生半可なので、その様な事を言ってしまう。

薬師如来様
そうなのですが、特に気付いたばかりという方は、逆の方向に振れてしまいやすい。
なので、こちらをご覧の皆様だけでも、考えて見るきっかけになればと思います。

管理人
それでわざわざお招き下さったのですね。

薬師如来様
そうやって気付いている人は後一歩の所まで来ている。
しかし、そこから一歩先に踏み出すまでには足りない部分がある。
まだ見えていない部分がある、まだ気付いていない部分がある、自分にもその様な側面があると心に刻んで世の中を観察していると、今までは気付かなかった数多くの物事に気付けます。
今は不快に思う事でも、時間が経ってから過去を振り返った時に、「ああ、こういうことだったのだ」と分かる時が必ず来ますから、ある一定の期間の経緯を追って行く作業をする、観察する中から多くの物事を学び取れるので、出来る範囲内で取り組んでみると良いと思います。

管理人
来年の年明けから一年間、きっかけとして物事の始まりからの一年間の変化を、時間の流れで追いかける事によって、なかなか分かり易い変化が見られるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
他の神様も、来年の年明けから物事が大きく動き始めると言っておりますが。

薬師如来様
この流れは押し止められないもので、人間がどの様に足掻いても、その方向に流れます。
幕末の頃に開国の方向に流れたように、止める事が出来ない。
そこで、来るべき変化に備える、準備をする。

管理人
では、大筋の話としては以上でしょうか。
何か添える事はありますか。

薬師如来様
瞬間を見るのではなくて、ある時から一月なり半年なり一年なり、瞬間の連続を観察するという作業を行う事によって、ある出来事に対する瞬間的な感情の昂ぶりを制御できるようになります。
ある物事の始めから終わりまでの経緯を観察して行くと、時間を追って理性的に物事の流れを捉えて、将来的な傾向を予測する事が容易に出来るようになってきます。

管理人
要は、物事の因果関係というか、因果律に対する理解が深まるという事でよろしいでしょうか。

薬師如来様
もし、不快を感じる出来事が自分の身に降りかかったとしても、その場で相手に感情をぶつけてしまうのではなくて、自分の中で整理して「今の出来事にはどう言う意味があるのだろう」と考えられるように、気持ちが自然に切り替わって行くようになるので、深みのある豊かな人生が送れるようになります。

管理人
自分で日々過ごしていて、その様な考え方が出来ると楽ですよね。
まあ、楽という言い方はどうかと思いますが。

薬師如来様
でも実際に、不快な事と言うのはものすごくエネルギーを消費する。
それだけでもエネルギーを消費するのだけれども、相乗効果として、一の怒りで場合によっては十の疲労が出る事になりやすいので、実際本当に疲れるのです。
より感情の起伏を自分で制御できる様に…。

管理人
まあ、多少振れるのはしょうがないとしても、その波がある程度穏やかな範囲で収まっていれば…。

薬師如来様
多少の揺れはあっても、凪いでいる状態であれば…。
積極的に何かに取り組んだり、何かの成果を喜び合ったりするのは、一の力を使ったとしても、相乗効果として、疲労を取り除く方向のエネルギーが十倍や百倍に広がるので、チャラになる。
チャラになるどころか、プラスになる。

管理人
それは癒しのエネルギーでしょうか。

薬師如来様
そうですね。
積極的な取り組みは心の安定に繋がるので、感情の起伏が穏やかな状態が楽というのは、行動の結果として癒されているという事なのだと思います。
心が安定している人は常に、ある程度心地の良いエネルギーを発しているので、周りに与える影響も心地の良いものになって行くので、心地の良い物事の考え方をする人が必然的に集まってくる。
逆に、常にトゲトゲして怒りをぶつけてしまうような、気持ちが揺れやすい人の周りには、どうしても感情をぶつけてしまう、怒りをぶつけてしまいがちな人が引きつけられて寄ってきてしまうので、余計に疲れが蓄積されてしまう。
お互いに感情をぶつけてしまうので、心が安定するように少し…。
出来る範囲内で、でも、ちょっと落ち着いた時に意識して考えてみる。
誰でも「あーもう!」と怒りを感じる事はあるので、それは仕方がないのですが、ちょっと落ち着いた時にでも「そういえば【銀の紐】で感情をテーマに話していたな」と思いだして頂ければ嬉しいです。
「ちょっと理性を働かせて考えてみようかな」という風になれれば。

管理人
なかなか実践するのは難しいのですが。

薬師如来様
立場を逆に置き換えてみると分かり易いですよ。
自分と相手を逆転させて考えてみる。

管理人
立場を逆に置き換えて考えて見ると言っても、想像力がないと難しいですね。
そして自分の感情をぶつけてしまう方に限って、そういった想像力が足りていない印象があります。

薬師如来様
でも、感情的になりやすい方に限って「またやってしまった」と反省している方も結構いるので。

管理人
反省している方は後で振り返っているので、繰り返しの中から何か掴めるのかなと思いますが。

薬師如来様
今までの皆様がおっしゃって居られた事と同じなのですが、自分の最終目的、自分の最終目標が何であるのかを常に意識しておく事。
そうすると、大きく道を逸れる事はないから。
多少感情に動かされる事はあっても、「あ、自分の目標はあの山の頂上だな。あの頂上に辿り着く事だな」というのを常に振り返るように、冷静になった時に振り返ってみる。
山の頂上にある最終目標に辿り着きたいのだから、今ここで周囲に対して感情をぶつける行為は、最終目標に近づける行為なのかを考えて見る。
その様に物事を整理して考えて見ると、同じ気持ちを伝えるのでも伝え方を変えられるし、伝え方を変える事で相手が「話を聞いてみようかな」と思えるようにもなるので、伝え方は大事だと思います。
感情をぶつけるのが目的ではなくて、好ましくない状態を改善する事が目的だったら、その状態を改善するために有効な策は何か――という事を、相手の気質を観察した上で考えられようになると、より成果が出やすくなるし、そういった理性的な物の考え方が出来る様になると、怒りよりも、うまく行かなかったら、「あ、どこがうまくかみ合っていなかったのかな」と、自分自身に問いかけるようになるので、一つずつ着実に前に進めるようになる。
「今までのやり方は違っていたかな」と知る事が出来るので、そうしたら「他のやり方が何かあるかな」と考えれば、一つ成長できる。
そうやって人は一歩ずつ成長していくのだと思います。
怒るなと言うのではありませんよ。
余り感情をため込んでしまうと、今度は逆にストレスとなって鬱病や心の病になってしまったり、精神ではなくて病気として体の方に症状が出てしまう事があるので、無理にため込む必要はありませんが、一通り吐き出してしまった後は冷静になって――何かストレスを発散するような、人様に迷惑をかけない形で発散できるものを自分なりに探して、とにかく発散してしまってから「さて、じゃあちょっと冷静に考えてみようか」とやってみるといいかもしれませんね。
とにかく感じてしまったものは出してしまった方がいい。
燻ってしまうと、一の不満が十にも百にも膨れあがってしまうので、元は一だった感情が燻り続ければ心にも体にも凄く負担となるので、周りの方にも多分イヤな感情を広めてしまう事もあるでしょうし。

管理人
以上でしょうか。

薬師如来様
そうですね。
皆様共通の様ですが、やはり人間の皆様の心の動きは気になるし、多分ご本人が辛いのではないかと思うのですね。
自分自身を追い詰める感情から抜け出せないと…。

管理人
抜け出せないと辛いと言うよりは、自ら好んでその場所に居座っていると見えなくもないので…。

薬師如来様
でも、きっと本人は辛い。
辛いけどなぜか辛い選択をしてしまう、抜け出せないと言う状態だと思うので、私の話を何かきっかけを掴む為の参考にして頂ければ、少しでもお役に立てれば嬉しいので、お話しさせて頂きました。

(2010年12月23日)





今回は薬師如来様のお話をご紹介しましたが、同じく延暦寺阿弥陀堂のご本尊である『阿弥陀如来』様の話も伺っております。
こちらも準備ができ次第ご紹介したいと思いますので、投稿までしばらくお待ち下さい。

【Silvercord】管理人 





1月2日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年1月1日土曜日

初詣

明けましておめでとうございます。
本年もご愛顧下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

さて、本日は元日恒例の初詣に参りました。




ご覧の皆様の中に、こちらへ参拝された方はいらっしゃいますでしょうか。

【Silvercord】管理人 





1月1日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。