2016年8月12日金曜日

[黙示録再解読]:ヨハネに黙示録を伝えた意味

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

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■ 『ヨハネの黙示録』を再解読するに当たって

以前行った『ヨハネの黙示録』を解読する記事では、黙示録の第一章について殆ど取り上げませんでした。
当時、黙示録の解読に協力して頂いた霊界の住人から、第一章についての言及はありませんでしたし、管理人も「ヨハネの元に黙示録がもたらされた背景の説明」と理解していましたので、他の重要な部分の説明を優先した方が良いと判断しました。
しかし今回の再解読に当たって、黙示録の第一章について、霊界の住人から詳細な説明がありました。
そこで、黙示録再解読の始めに、以前読み飛ばしてしまった黙示録の第一章を詳しく読み込んでいきたいと思います。
二章以降については、前回の解読でもある程度説明していますので、人間の視点と霊の視点を比べた場合の解釈の違いについて指摘する流れになると予想しています。
前回同様に、今回の再解読でも聖書の記述と照らし合わせる作業は必須になると思いますし、以前の解読記事と見比べる作業も必要になってきます。
基本的には、前回の黙示録解読記事を熟読されているという前提で進めますので、疑問点についてはその都度該当する記事のコメント欄にお寄せ下さい。

前置きはこの程度として、そろそろ黙示録の再解読に取りかかりましょう。





■ 『ヨハネの黙示録』がヨハネの元にもたらされた意味

黙示録の第一章の冒頭に、この文章が「イエス・キリストの黙示」として、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためにキリストに与え、そのキリストが天使を僕ヨハネの元に送って伝えたものだと述べています。

すぐに起こるはずのこととは、「イエス・キリストの黙示」が僕ヨハネに伝えられた時点では未来の出来事であり、僕ヨハネを通じて他の僕たちへ伝えられることを意図しています。
ご覧の皆様は、黙示録の冒頭にさりげなく「すぐにも起こるはずのこと」と添えられているのは何故だと思いますか。
黙示録の内容を理解していない人は、その一言に余り深い意味を感じないかもしれませんが、以前管理人と共に黙示録を一通り解読してきた皆様でしたら、その一言に込められた意味合いに気がついているでしょう。
以前の黙示録関連記事で、『ヨハネの黙示録』とは、神による人類育成計画の大まかな計画書であり、人類が滅亡するまでの概要を示した上で、大淫婦である大バビロンに対して下される神の裁きに焦点を当てて、そこで神の裁きが何故下されるか、どの様に下されるか、神の裁きとは何なのか――などについて解説しましたが、これらの黙示録の全体像を理解していると、「すぐにも起こるはずのこと」も自ずと明らかになります。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足4】にある黙示録に記された物語の大まかな流れを見ると、その物語の最後にある「聖なる都エルサレムで神と僕の共同統治が行われる」のが、黙示録によって神が示した最終目的なのですが、その最終目的に至る途上にある「小羊イエスが第二の封印を開く」時点が、黙示録にある大淫婦に対する神の裁きの時期であり、それが現在進行中の出来事となります。
黙示録では、イエスが勝利を得て神の御許に引き上げられたことによって、神の右手にある書物にかけられた七つの封印を開く役割を委ねられました。
その七つの封印のうちの二つ目の封印が開かれたばかりです。
黙示録によると、今後小羊イエスは七つの封印を開いて、イエスと聖なる者たちによる千年の統治を経て、サタンが復活した後に最後の審判を経て、ようやく黙示録に記された最終目的に達します。
その長い道程のうち、第二の封印を開いた時に行われる「大淫婦に対する神の裁き」について、黙示録では詳しく説明していますので、実際に「大淫婦に対する神の裁き」が行われている様子を、現代を人として生きる神の僕たちが確認できれば、僕ヨハネの元にイエスの黙示がもたらされた目的の半分は達せられたことになります。
黙示録の冒頭にあるように、「すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためにキリストに与え、そのキリストが天使を僕ヨハネの元に送って伝えた」結果、黙示録の全体像から見れば「すぐにでも起こる」と言って差し支えない時期に、その時代を生きる神の僕たちが、自分の目で「かつてイエスが僕ヨハネに伝えた神の言葉が、今目の前で現実となった」ことを確認する機会となります。

黙示録の第一章第二節には、ヨハネが神の言葉とイエス・キリストの証しとして、自分の目で見た全ての出来事を証ししたとあります。

ここでヨハネは、「神の言葉とイエス・キリストの証し」としているように、神とイエスを別々の存在として認識しています。
従来のキリスト教では、三位一体が中心的な教えの一つとされているようですが、ここで示されているヨハネの認識からも、神とイエスは別の存在であり、三位一体論とは食い違いが見られます。
最初に神が言葉を発し、イエスが神の言葉に基づいて行動してみせることによって、神の言葉の正しさを証明します。
「神の言葉の証し」としての生涯を全うしたイエスは、死後神の御許に引き上げられますが、今後は「神の言葉を証しすることによって、イエスは神の御許に引き上げられた」ことを、イエス・キリストの黙示を伝えられたヨハネの経験を示すことによって証しするという形を取っています。
この黙示録は、「かつて神の言葉を成就したイエスが神の御許に引き上げられ、そのイエスが神の言葉をヨハネに伝えた」預言なので、かつてイエスが神の言葉を成就させたように、黙示録に綴られた神の言葉も成就される、となります。

だからこそ、続く第一章第三節にあるように、この預言の言葉を朗読したり、聞いたり、ここに記されてたことを守る人は幸いなのです。
この黙示録を通じて、これから起こる出来事とそれが起こる理由、その事態に対処する術を予め知って、その時に備えることが出来るのですから。





■ ヨハネからアジア州にある七つの教会へ

黙示録の第一章第四節~第六節には、ヨハネから、アジア州にある七つの教会へのメッセージとして、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」から、また「玉座の前におられる七つの霊」から、更に「証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」であるイエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように、と述べています。
続けて、「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方」に、「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方」に、栄光と力が代々限りなくありますように、とあります。

ここでヨハネは、神と七つの霊とイエスについて述べています。
「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」とは、今ヨハネに神の言葉を伝える役目をイエスに託した神であり、かつてイエスが人間として神の言葉を成就するように導いた神であり、その黙示録の最後で天と地を新しくした『聖なる都エルサレム』を、神の僕と共同統治することになる神です。
また「玉座の前におられる七つの霊」とは、屠られたような小羊が勝利を得た時に、神から渡された巻物に七つの封印があるのですが、その封印を施した者と言えるかもしれません。人間が地上に誕生する際に六カ所の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を築いたのですが、その拠点を築くために尽力したのが「七つの霊」とのことです。
六カ所の拠点は人間が誕生する際に設置され、その後日本の拠点を除いて一旦は閉じられましたが、去る2011年末にバチカンの拠点が開きました。
ここからはイエスについて述べていて、「証人」とは神の言葉を証しした者であり、「誠実な方」とは神の言葉の前に誠実であった者です。
そして「死者の中から最初に復活した方」とは、黙示録の第五章に記されているように、神の言葉を証しすることによって生涯を全うしたイエスが、死後に勝利を得て神の御許に引き上げられたことを指します。
「地上の王たちの支配者」とは、その先に「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える司祭としてくださった方」とあるように、ヨハネを始めとして地上で活動する神の僕たち、神の言葉がやがて成就することを人々に説いて回る者たちは、神の御許へ導く為に人々を束ねる者という意味の王であり、同時に彼らはイエスの証しを通じて、神に仕える祭司となるきっかけを掴みました。
「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方」とは、イエスの人間としての生涯を通じて、自らの血を流しながらも、神の僕としてのあり方や、人間が勝利を得るための道標を示したことを指します。

黙示録を解読する前でしたら、単純にこれらは皆福音書に示されているイエスの事績を並べていると思うかもしれませんが、既に管理人と共に黙示録を解読された皆様でしたら、これらはイエスについて述べているのと同時に、イエスと同様の役割を担う別の者についての言及が含まれている気がつかれると思います。
黙示録の第六章にある、小羊が神から渡された巻物の七つの封印を開いてゆく件がそれで、黙示録では小羊=イエスとして、小羊が七つの封印を順番に開く流れとなっていますが、その中で実際にイエスが関わるのは第二の封印である『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』であり、他の封印についてはイエスと同等の役割を担う別の者が関わる旨、以前の黙示録解読記事で言及しました。
『ヨハネの黙示録』とは、キリスト教の聖典である聖書に収められているからこそ、七つの封印を開く役割をイエスに代表させましたし、バチカンの拠点が管轄する地域の人々が、他の地域の事情について知る必要はありません。
しかしヨハネは、黙示録においてイエスの名で表される者がイエスその人だけではないことを理解していました。
巻物の封印は七つあるのですから、イエスと同様の役目を担う者がイエス自身を含めて七名いるのです。

黙示録の第一章第七節では、その方が雲に乗って来られる様子を、全ての人の目が、そして特に彼を突き刺した者どもは、その様子を仰ぎ見ることになります。
そして地上の諸民族は、彼のために嘆き悲しみます。

その方とは、神の言葉を証しすることによって処刑されたイエスであり、そのイエスが雲に乗ってくるのですから、勝利を得た者として神の御許に引き上げられた後に、神の名代として諸国の民の前に現れました。
その様子を全ての者が仰ぎ見て、とりわけ直接イエスの息の根を止めた者たちは、自分の手で殺めたはずのイエスが目の前に現れた様子に恐れおののいたことでしょう。
地上の諸民族はその時に初めて、自分たちがその手にかけて亡き者とし、あるいは直接手を下した者の行いを支持し、あるいは黙認し、もしくは無関心を決め込んだ当の相手が、今や天に引き上げられて神の御許で裁きを下す者となったと感じ取ったのですから。
但し、上で「イエスと同様の役目を担う者がイエス自身を含めて七名いる」と述べたように、イエス以外の六名についても、何らかの形で神の言葉を証しすることによって処刑され、勝利を得た者として神の御許に引き上げられた後に、再び神の御用で地上の諸民族の前に姿を現すことがあり得るのでしょう。
そこで「その方」として、イエス以外にも同様の役割を担う者がいて、イエスのように処刑された後、再び地上の諸民族の前に現れる者がいることを示唆しています。

黙示録の第一章第八節では、「神である主」、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」、「全能者」がこの様に言われました。
「私はアルファであり、オメガである。」、とあります。

ここで「神である主」が、「私はアルファであり、オメガである」と述べています。
この文言は、後に黙示録の第二十二章第十三節でも繰り返されており、その意味は「最初の者にして最後の者」、そして「始めと終わり」です。
始めと終わりとは原因と結果の関係を司る因果律であり、「神の言葉とイエス・キリストの証し」も神が因果律を管理する証拠の一つと言えるでしょう。
ということは、かつて人であったイエスが勝利を得て神の御許に引き上げられた様に、現在人間である霊媒や管理人、そしてご覧の皆様がイエスを手本に神の境涯への至るには、因果律について理解を深めることが非常に重要になると思いますが、いかがでしょうか。

黙示録の第一章第九節では、わたしはあなた方の兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。
わたしは神の言葉とイエスの証しの故に、パトモスと呼ばれる島にいた、とあります。

ここでヨハネが、共にイエスと結ばれている兄弟と述べているのは、アジア州にある七つの教会に集う者たちです。
ヨハネが神を主とし、イエスを主とする神の僕であるように、アジア州にある七つの教会に集う者たちも神の僕であり、志を同じくする兄弟です。
そしてイエスと結ばれているからこそ、かつてイエスが神の言葉を証しする為に苦難と忍耐を重ねたように、ヨハネもその兄弟たちも、神の僕としての役目を果たすには苦難と忍耐を強いられることを理解していました。
人の価値観と神の価値観に間には大きな隔たりがあり、神の価値観に沿うためには人の価値観――人間社会の常識や習慣、物事の価値判断から大きく逸脱することを余儀なくされ、また神の価値観は人の理解力を越えた判断を必要とするために、それを理解できる人は神の僕の役を担う者などの少数に限られます。
人の理解を超えた判断に基づいて行動する神の僕は、他の諸国民からは得体の知れない変わり者と見なされがちで、なかなか人々の理解を得られにくいので、人でありながら神の僕として生きるには苦難と忍耐を伴います。
例えて言うと、嘘で人を騙すことが当たり前の社会に、嘘で人を騙す行為が愚かであることを理解したある人が、誠実な姿勢で周囲の人々に接していた場合、嘘が当たり前である周囲の人は「嘘をついて誤魔化した方が得だし、バレたら逃げればいいのに、あいつはバカな奴だ」と思うかもしれません。
しかしその人は、嘘を吐かない誠実さが信頼を醸成し、信頼できる相手とは協力関係が築けることを知っています。
より多くの人と信頼の環で結ばれた協力関係が築ければ、たった一人の嘘吐きでは到底為し得ない大事業をも為し得るでしょう。
嘘吐きが蔓延っている社会と、信頼できる人々が協力して築き上げた社会を比べると、信頼できる社会の方がその社会の誰にとっても暮らしやすいのですが、嘘吐きの社会でその様な理解を浸透させるには長い時間がかかりますし、特に先駆者ほど周囲の理解が得られずに不当な扱いを受けやすいのです。
因みにパトモス島とはエーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、ヨハネが啓示を受けたとされる洞窟はユネスコの世界遺産に登録されているのだそうです。
【参照:Wikipedia】





■ イエスからヨハネへの指示

黙示録の第一章第十節~第十九節では、ある主の日に、ヨハネは“霊”に満たされていた時に、後ろの方でラッパのように響く大声を聞きました。
その声はこう言いました。
「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会へ送れ」
そこでヨハネが、語りかける声の主を見ようとして振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央に人の子のような方がいて、足まで届くような衣を着て、胸には金の帯を締めていました。
その頭髪は白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃えさかる炎のようであり、足は炉で洗練された真鍮のように輝いていて、声は大水のとどろきのようでした。
右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようでした。
ヨハネがその方を見ると、その足もとに倒れて死んだようになりました。
するとその方は右手をヨハネの上に置いて言いました。
「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、まだ生きている者である。
一度は死んだが、見よ、代々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしてることを書き留めよ。

ここではまず、「ヨハネは“霊”に満たされていた」ので、ヨハネが霊の存在を感じ取れる霊媒であり、恐らくはしばしば霊に満たされる時間を持っていたであろうことが伺えます。
そこに大声が聞こえて、アジア州にある七つの教会に手紙を送るよう求めるのですが、ヨハネが霊に満たされている最中なのですから、この声の主も霊的な存在です。
その声の主は人の子のような方で、頭髪が白い羊毛のようなのですから、黙示録の第五章で神から巻物を受け取った小羊、勝利を得た屠られたような小羊に相応しい様子です。
足は炉で洗練された真鍮のようなのですが、真鍮とは黄銅のことであり、銅Cuと亜鉛Znの合金とのことです。
日本でも12世紀には真鍮が大量に使われていた例があるようですが、亜鉛が低温で蒸発するために精錬が難しいと考えられて来たようです。
その精錬が難しい真鍮に例えられるのですから、この方の苦難と忍耐に満ちたここまでの足取りが伺えます。
また、以前の黙示録解読の時に述べましたが、口から出ている鋭い両刃の剣とは「弁が立つ」ことを指しています。
そこでヨハネがその方を見ると、足もとに倒れて死んだようになるのですが、その方が死んだはずのイエスだと悟ったのでしょう。
イエスの姿を目の当たりにしたヨハネは、恐怖と言うよりは畏怖の念を抱いたのでしょうか。
その方はヨハネに「わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である」と述べます。
これは先ほど神である主が「私はアルファであり、オメガである」と述べたことと同じで、イエスも神である主に並び立つ存在となった意思表示です。
イエスは人間としては死にましたが、勝利を得て神の御許に引き上げられ、永遠に生きる者となったので、「一度は死んだが、代々限りなく生き」る者となりました。
更に「死と陰府の鍵を持っている。」のですから、物質界を管理する者として、生物の生死を司る役割を担ったことになります。
ヨハネが「その方」と述べているのは、イエスと同じ役割を担う者が他にもいることを暗に示しています。

黙示録の第一章第二十節では、ヨハネはイエスの右手にある七つの星と、七つの金の燭台を見ましたが、それらに秘められた意味をイエスがヨハネに説明します。
「七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である」と。

ここでイエスの右手にある七つの星として表される天使たちは、イエスの手の内にあります。
天使とは天の使いであり、その形態は一様ではありませんが、この場合は神により与えられた役割に基づいて、人として活動する者を指しています。
『銀の紐』流に表現すると「霊界と地上界を繋ぐ拠点の覡役」であり、日本の拠点では天皇陛下になりますが、その様に特殊な役割を担う者に宿る霊は、人間としての経験から学びを得る段階を卒業しており、それ以外に特定の役割を担う目的で人間としての生涯を送ります。
人間が神の御許へ引き上げられるように製錬する作業を支援するために、神と人間の仲立ちをする接点としての役割を担っています。





■ ヨハネがイエスから指示を受けるまでのまとめ

以前の黙示録解読では第二章の解読から始めたために、今回取り上げた第一章については殆ど言及していませんでした。
第一章はヨハネの元に黙示録がもたらされた経緯の説明となっており、また黙示録をもたらしたのがイエスだという確認のためにスペースを割いていましたので、黙示録の大雑把な流れを知る上では、敢えて省略しても差し支えないという判断でもあり、またある程度黙示録の内容を理解していないとわかりにくい部分でもありました。

今回の再解読に当たって、改めて黙示録の第一章を読み返すと、かつては読み取れなかった部分についての理解が進みました。
かつてイエスは、神の言葉を証しする者としての役割を全うし、それ故に磔刑に処されましたが、死後に勝利を得て神の御許に引き上げられました。
その時点で神の言葉が後に形となったことは確認できましたが、そこでイエスが本当に神の御許に引き上げられたのか、諸国の民が確認できたのかというと、少々怪しいものがあります。
そこで今度は、イエスが神の御許へ引き上げられた後の出来事について、神の言葉をイエスが取り次ぎ、当時地上で神の僕としての役目を担っていたヨハネの元に、新たな神の言葉が伝えられました。
このヨハネの黙示録、イエス・キリストの黙示とは、イエスの事績に重ねて神の言葉を証しする試みであり、同時にかつて人であった者が確かに神の御許に引き上げられたことを証しする試みでした。
だからこそ、冒頭でこの黙示をもたらした者がイエスであることを確認するために多くのスペースを割いています。
それと共に、以前の黙示録解読の際に述べたように、人間(に宿る霊)育成計画としての黙示録を示し、その中でもイエスの名によって束ねられる地域・欧州諸国にとって大きな成長の契機となる激変期(大淫婦に対する神の裁きの時期)の様子を詳細に描くことによって、それが神の言葉の証しとなることを示そうとしました。
同時に、黙示録の中で人間育成計画の行き着く先を示すことによって、諸国の民がイエスの生涯を見習って、勝利を得て神の御許へ引き上げられる道を示そうとしました。
そしてヨハネが証しした黙示録の結果を確認するのは、大淫婦に対する神の裁きの時代に生きる私たちが担う役目となります。

Silvercord管理人 






なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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2016年8月4日木曜日

[黙示録再解読]関連記事一覧

『ヨハネの黙示録』を、神々や霊界の住人の視点から読み解いた[黙示録再解読]関連記事は以下の通りです。
なお『銀の紐』を初めてご覧になる方は、人間の視点から『ヨハネの黙示録』を読み解いたこちらの記事を先にご覧下さい。

記事【黙示録関連記事一覧】





■ [黙示録再解読]関連記事はこちら

【古事記の解読に向けた説明と基本概念】
『ヨハネの黙示録』の再解読を行う理由について

【[黙示録再解読]:霊界から見た物質界の役割】
黙示録の再解読に必要となる予備知識の説明

【[黙示録再解読]:悪魔と呼ばれ忌み嫌われる霊達と天使と呼ばれ愛される霊達】
黙示録の再解読に必要となる予備知識の説明

【「黙示録再解読」:ヨハネに黙示録を伝えた意味】
黙示録第一章

(2016年8月12日時点、以下随時追記予定)





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2016年7月22日金曜日

[黙示録再解読]:悪魔と呼ばれ忌み嫌われる霊達と天使と呼ばれ愛される霊達

今回も前回に引き続き、黙示録の再解読に先立って、神々や霊界の住人の視点から黙示録を見る際に、重要になる基礎知識について、とある霊界の住人の方のコメントが届いております。

※ 初見の方は、以下の記事を先にご覧下さい。
記事【黙示録関連記事一覧】





■ 霊界の住人のコメント

前回の記事でご説明申し上げました「霊界から見た物質界の役割」に続きまして、もう一つ事前にお伝えしておきたい事柄がございますので、もうしばらくお付き合い下さい。


霊界がリアルな世界と仮定するならば、物質界は限りなくリアルに近い仮想世界であると以前の記事で説明しました。
もっとわかりやすく表現すると、オンラインゲームなどのようにコンピューター上に構築された仮想世界を物質界に例えることができます。
ゲームのプレイヤーは霊に例えることができますし、プレイヤーが操作しているキャラクターは人間に例えることができるでしょう。
キャラクター(人間)はプレイヤー(霊)の分身ではありますが、プレイヤー(霊)が指示しなければ活動することはありませんので、あくまでも主役はプレイヤー(霊)自身ということになります。
この際プレイヤー(霊)に許されている行為は、仮想世界の中で予め定められているルールに基づいた事柄に限定されております。
プレイヤー(霊)によってルールを逸脱した行為は許されておらず、また、システムの性質上どう足掻いてもプレイヤー(霊)がルール外の行為を行う事は出来ないようになっております。
そして、コンピューター上に仮想世界を設計構築し、維持管理している存在を神と呼ばれる霊(以降神)に例えることができます。
システムエンジニアが該当するでしょうか。
その神と共に仮想世界の維持管理に協力している存在を天使と呼ばれる霊(以降天使)に置き換えることができます。

ここで神と天使の違いについて少し詳しく説明しておきましょう。
神にあたる存在は、コンピューターを動かすためのシステムを開発し、尚且つそのシステム上で動くソフトも開発したようなものです。
一方天使たちは、システム上で動くソフトを開発することは出来ても、まだ、独自にシステムを開発出来るところまでの理解が及んでいない状態であると言えます。
仮想世界の設計者である神はシステムのすべてを把握しておりますが、協力している天使はまだシステムのすべてを把握するまでには至っておりません。
システムを維持する上での一定のルールは理解していますが、システムの根幹に関わるところに手を加えられるだけの知識と経験はありません。
天使は神の指示に従い、管理を任された範囲においてのみ権限を持ち、それを行使することができます。
経験を積み成長することで、より複雑で強い権限を持つ役割を担えるようになってゆくのです。

天使にも様々な成長段階があり、より神に近い存在から人間を卒業したばかりの存在まで実に多くの段階があります。
人間を卒業したばかりの霊は、まだ何も知らない新入生のようなものなので、まず先生について基礎学習をする必要があります。
例え仮想世界でプレイヤーとして極めることができたとしても、その仮想世界を支えているシステムを理解出来ているわけでは無いということです。
あくまでも、システムによって定められている仮想世界でのルールを学習したに過ぎないのです。
システムに関しては一から学ぶ必要があります。
最初のうちは幼い霊も先生や先輩から多くを学び、順調に成長してゆきます。
ところが、基礎知識を一通り学び終えたところで幼い霊達は二つのグループに分かれ始めます。
一方のグループは、より理解を深める事を求め、基礎から一歩踏み込んだ学習を求めるようになります。
時には先生の許可を得て、自分にできる範囲内で実践を試みることもあります。
彼らは周囲の出来事にも関心を持ち、よく観察して学んでいます。
とても思慮深い存在です。
もう一方のグループは、基礎を学んだことで満足してしまい、実務を行いたくて仕方がなくなってしまいます。
その為に、自分が行ってみたい実務を担っている者に何かとちょっかいをかけ、邪魔をするようになるのです。
彼らは決して悪気があるわけではなく、自分で良いと思う事柄を実践して試してみたくて仕方がないのです。
ですが、まだ充分な知識も経験もない彼らには荷が重い役割であるため、彼らの思い通りにはなかなか事が運びません。
しびれを切らした彼らは、とうとう実力行使に出ようとしますが阻止されてしまいます。
彼らのわがままですべてを台無しにすることはできません。
ですが、無理に押さえつけるだけでは、彼らの学びにもなりません。
そこで神は彼らに、限られた範囲内で権限を行使することを許可し、彼らが浅慮である事を身をもって体験し、理解出来る機会を設けます。
そして彼らは仮想世界の住人たちと深く関わるようになるのです。
こうして前者のグループが天使として活躍するようになり、後者のグループが悪魔として活躍することになるのです。

ここまでが、霊界から見た場合の悪魔と天使の説明になりますが、 人間の側から見た悪魔と天使はどうやら異なっているようです。
人間には、自分たちにとって都合よく思える存在が神や天使と認識され、都合が悪く思える存在は悪魔と位置づけられる場合が多いようです。
すべてではありませんがその様な傾向にあります。
今あなたを導いているのは、本当に神ですか?
今あなたの行く手を阻んでいるように思えるのは、本当に悪魔ですか?
視野の違いからくる誤解ですからある程度は仕方がありませんが、分かる人には分かるようですので、皆様もよく観察してみてはいかがでしょうか。


多くの経験を通じて人間たちが成長し、時代ごとに新しい概念が誕生することによって、過去よりもより詳細な説明が可能となりつつあります。
伝えている内容は過去のものと同じでも、時代によって表現出来る事柄には限りがありますので、定期的に情報の更新をする必要があるのです。
今回の説明は、人間がコンピューターを開発し、当たり前のものとして社会で活用されるようになったからこそ表現することができたものです。
これらの説明も、しばらく経てば取るに足らないものとなってしまいますが、ほんの一時でも皆様の理解の助けとなることができるのであれば、幸いに思います。
このような貴重な機会をいただけたことに、心からの感謝と祈りを持って説明を終えたいと思います。
読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
この後にヨハネの黙示録を霊界視点で解読させていただきますが、もしよろしければ引き続きお付き合い下さい。

(2016年6月24日)





上記記事で述べている天使と悪魔の概念は、従来のキリスト教会によるスタンダードな天使観・悪魔観とは異なっていますが、とある霊界の住人の方は、黙示録の再解読に先立って説明する必要があると判断したようです。
前回の記事と共に、この記事の内容をきちんと把握しておくことによって、黙示録再解読の理解が捗るとの判断があるようですので、質問がありましたら各記事のコメント欄よりお寄せ下さい。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年7月8日金曜日

[黙示録再解読]:霊界から見た物質界の役割

黙示録の再解読に先立って、神々や霊界の住人の視点から黙示録を見る際に、重要になる基礎知識について、とある霊界の住人の方のコメントが届いておりますので、ご覧下さい。





■ 霊界の住人のコメント

ヨハネの黙示録について詳しく解説する前に、霊界から見た物質界とはいったいどのような位置づけになるのかを説明する必要があります。
物質界は何のために生み出され、どのような機能を果たしているのかを知ることは、霊界側の視点で語られるヨハネの黙示録の内容を理解する助けとなる事でしょう。
これらの内容に関しては、これまでも何度か軽く触れることはありましたが、明確なかたちでの解説は今回が初めてになります。
これらの説明は予備知識として必要な内容となりますので、もしよろしければお付き合い下さい。

それでは、説明を始めましょう。
皆様がお暮らしの物質界には子供たちに基礎教育を施す制度がありますが、霊界にも同様の制度が存在しております。
生まれて間もない幼い子供霊にとって、周囲に広がる世界はとても広く、未知の事柄であふれているように感じられます。
強い好奇心を持って多くのものに触れ、ものすごい勢いで様々な経験から学びを得ていきます。
周囲の大人たちを模倣し、基礎的な知識を吸収するのです。
それらの過程を滞りなく経験出来るように考えられた教育環境こそが、今皆様がお暮らしの物質界となっております。
物質界は、幼子たちに必要な教育を施すために生み出された、一つのシステムなのです。

霊界がリアルな世界と仮定するならば、限りなくリアルに近い仮想世界が物質界ということになります。
限りなくリアル近いかたちで再現されているとは申しましても、教育上省いても差し支えない部分に関してはかなり簡略化されており、現実社会の中でいきなり実践するよりも子供霊には学びやすい環境となっております。
物質界という仮想世界で様々な境遇を一通り経験することで、霊界の成り立ちや歴史などを理解する事が出来るように様々な工夫が施されており、成長するごとに学ぶ内容がより複雑化し、体験する環境や立場も徐々に移行してゆく事になります。
物質界を取り巻く環境もすべて仮想世界として再現されており、霊界で実践されている事柄もきちんと再現されておりますので、無知な状態でいきなり現実社会で実践しなければならない環境に置かれることがないように、十分な配慮がなされております。
仮想世界での学びが最終段階に達したものから順に基礎教育課程を終了し、卒業することになります。
そして、最終的には霊界での実践教育へと移行してゆくのです。
それらの過程を経て始めて、霊界にて社会の一員として認められるようになるのです。

霊界での基礎教育課程修了の基準は、実社会で生活する上で必要とされる基礎知識が確かに理解されていると判断された者のみとなりますので、学ぶ年数や卒業する年齢は、それぞれの霊によって異なっております。
もし仮にすべての過程を年齢で区切ってしまい、基礎が充分に理解出来ていなくても皆一律に卒業させてしまうと、実社会での混乱を招く原因となってしまいますので、どんなに手間がかかったとしても、卒業しても問題ない基準に達するまできちんと面倒を見ることになっております。
霊にも個性はありますから、どうしても仕方のないことなのです。
一番大切なことは、実社会で安心して暮らして行けるだけの基礎を身につけていることですので、そのことで劣等感を持ったり優越感を持ったりするようなことはありません。
皆で社会を構成し、協力し合うことによって安定した生活が実現出来ることを知っており、どのような立場の者でも、互いの存在意義を充分に理解している証拠でもあるのです。
そして、努力した分だけ必ず成果が現れる事や、時が経つにつれて立場が変化し、成長に応じて担える役割もより重要なものへと移行する事になり、それらの責任を果たせるだけの実力が着実に身につく事実を充分に理解出来ているのです。
自分という存在に確信を持ち、周囲に惑わされずに適切な状況判断ができる状態であるといえるでしょう。
それもこれも、物質界を含めた仮想世界での学びがあってこそ辿り着く認識ですので、今人間の皆様が経験しておられる事柄はとても重要で貴重なものなのです。

(2016年6月8日)





記事で述べておりますが、こちらの内容の関連として、以下の記事が参考になると思いますので、興味のある方は合わせてご覧下さい。

『銀の紐を越えてα』掲載記事:
【霊の学舎としての物質界と因果律の作用(前編)[メッセージ修正版05.1]】
【霊の学舎としての物質界と因果律の作用(後編)[メッセージ修正版05.2]】

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年7月1日金曜日

黙示録関連記事一覧

『ヨハネの黙示録』の再解読に備えて、現時点で投稿済みの黙示録関連記事をまとめましたので、今までの復習にご利用下さい。
黙示録の再解読は、下記記事の内容を予めご覧になっていることを前提として進めますので、疑問・質問がありましたら、今のうちに各記事のコメント欄よりお寄せ下さい。
特に質問が無ければ、いよいよ次回より黙示録再解読に入りたいと思います。





■ 『銀の紐』に投稿済の黙示録関連記事

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。
(補足)【『アジア州にある七つの教会』が示唆するもの】
アジア州にある七つの教会の順番が示す意味について。
(補足)【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足2】
ティラティアにある教会の天使に宛てた手紙のうち、イゼベルという女とその子供達について。
(補足)【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足3】
ラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙のうち、イエスからの三つのアドバイスについて。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。
(補足)【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足1】
獣の刻印と神の刻印が示すもの。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】
『ヨハネの黙示録』第十四章~第十五章、地上が悪魔サタンの支配下に置かれた頃、天で進行していた『神の裁き』の時に向けての準備の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】
『ヨハネの黙示録』第十六章、『神の裁き』として、七人の天使が地上にもたらす災いの様子と、『神の裁き』の目的について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】
『ヨハネの黙示録』第十七章~第十八章、多くの水の上に座っている大淫婦に対する『神の裁き』の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その8)】
『ヨハネの黙示録』第十九章、大淫婦に対する『神の裁き』に伴うキリスト教会の再生と、獣達の辿る顛末について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その9)】
『ヨハネの黙示録』第二十章、悪魔サタンの封印と、イエスと聖なる者による千年の統治、サタンの復活と最後の審判について。
(補足)【『ヨハネの黙示録』を構成する三段階】

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その10)】
『ヨハネの黙示録』第二十一章~第二十二章、新しい世界と聖なる都エルサレムの様子と、イエスからの忠告について。

(補足)【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足4】
『ヨハネの黙示録』に記された物語を、時系列で並べかえた全体像について。





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年6月24日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足4

『ヨハネの黙示録』の再解読に先立って、補足編として、黙示録関連記事のコメント欄における、ご覧の皆様と管理人との質疑応答のうち、黙示録の補足説明となっているコメントを再掲することと致しました。

こちらのコメントは【『アジア州にある七つの教会』が示唆するもの】のコメント欄より転載しております。
また、この記事は『ヨハネの黙示録』に綴られた物語の大まかな流れを示しております。





■ ソラゴト様のコメント

(略)

長くなりましたが、今回一つ追加で質問させて下さいませ。
黙示録の内容は今回のバチカンの解放に伴う事項が中心ということでしたが、終盤の方にはキリストらによる千年の統治、新しい天と地の出現が描かれています。一方で次に米国の拠点が解放されるのがおそらく300年後くらいのこととのことですが、欧州を中心とした千年の統治の間に、次の米国の拠点の解放が進んでいくのでしょうか。それとも、千年の統治や新しい天と地の出現などは、すべての拠点の解放ののちの話なのでしょうか。
普通に考えれば後者なのかと思えるのですが、黙示録があくまでもバチカンの拠点の解放に焦点をあてる記述である以上、最後だけ、他の拠点の解放の経緯をすべて言外に追いやって「千年の統治」、「新しい天と地」の話をするのは奇妙だと思われたので、確認させていただきたいと思いました。
一応該当箇所を読み返したつもりですが、もしも既に解説済みの内容でしたらすみません…その時はご指摘をお願いします。

(2014年11月30日)





■ Silvercord管理人のコメント

ソラゴト様

七つの教会の地名に込められた意味とは、なかなか興味深い視点だと思います。

ご質問については、大まかな流れを示すと以下の様になります。

第一の封印を開く(日本の拠点が本格稼働:明治維新)

『神の裁き』(明治維新頃~第二次世界大戦終戦)

第二の封印を開く(バチカンの拠点が開く:2011年末)

『神の裁き』(2014年5月~21世紀末)

第三の封印を開く(米国の拠点を開く:約三百年後)

『神の裁き』

第四の封印が開く(チベットの拠点が開く:約三千年後)

『神の裁き』

第五の封印が開く(エルサレムの拠点が開く:約八千年後)

『神の裁き』

第六の封印が開く(スーダンの拠点が開く:約一万二千年後)

『神の裁き』

第七の封印が開く(霊界と直接繋がれる個人が増加)

『神の裁き』(七人の天使がラッパを吹く)

サタンが底なしの淵へ封印

イエスと聖なる者達による千年の統治

サタンの復活

サタンに唆された者達が拠点の土地を襲う

『最後の審判』(命の書に名前を記されていない者は火の池に投げ込まれる)

天変地異により新しい天と地が現れる

聖なる都エルサレムで神と僕の共同統治が行われる

(2014年11月30日)





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年6月17日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足3

『ヨハネの黙示録』の再解読に先立って、補足編として、黙示録関連記事のコメント欄における、ご覧の皆様と管理人との質疑応答のうち、黙示録の補足説明となっているコメントを再掲することと致しました。

こちらのコメントは【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】のコメント欄より転載しております。
また、この記事は「ラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙」についての補足説明として、主にイエスからの三つのアドバイスに焦点を当てております。





■ silvercode愛読者様のコメント

いつも納得させる記事の投稿、ありがとうございます。

今更このような質問もなんなんですが、詳しい解説が未だにされていないと思い、質問投稿いたします。

こちらの解説の最後の部分にて触れられている、イエスが勧めている三つのアドバイス”一つ目は裕福になるように、火で洗練された金をイエスから買うように。”・”二つ目は裸の恥を晒さないように、身につける白い衣を買うように。”・”三つ目は見えるようになる為に、目に塗る薬を買うように。”とあります。

三つ目は多分正しい霊的知識を身につけなさいって事だと思うんですが、後の金と白い衣を手に入れなさいの具体的な意味がいま一つピンと来ません。

良ければ、この事が何を意味するのか詳しい解説お願いしたいです。

(2015年10月4日)




■ Silvercord管理人のコメント

silvercode愛読者様

イエスからのアドバイスは『ヨハネの黙示録』の第三章第十八節ですが、その前の第十七節でイエスは、「私は金持ちで満ちたりている」と言っている人に対して、「自分が惨めで、哀れで、貧しくて、目が見えなくて、裸であることをわかっていない」と指摘しています。
ここで「私は金持ちで満ちたりている」と言う人は、その人が多くの財産を所有し、物質的に満たされた環境に暮らしており、周囲の羨望を集める社会的地位を占めている状態に満足しているのですが、イエスはそれらに価値が無いと述べているのです。
記事の冒頭で、「神様が人間に対して働きかけるのは、人間の霊的成長を促し、この宇宙に存在する全ての霊を神の境涯へ導く為」だと述べました。
イエスからのアドバイスは、人間に宿っている霊の成長に寄与しますし、人間としての生涯を終えた後にも、目に見えない「霊的知識」という貴重な財産を持ち越すことが出来ます。
一方、「私は金持ちで満ちたりている」と述べる人の財産は、物質世界や人間社会でのみ価値があると見なされる物であり、人間としての生涯を終えた後に持ち越すことは出来ません。
霊の成長を促すための一時的な乗り物が人間であるなら、人間である一時期にのみ活かせる物と、人間としての生涯を終えた後も活かせる物のどちらに価値があるのでしょうか。
これらの点について、silvercode愛読者様は既にご理解頂いていると思いますが、他の閲覧者の方に向けた前段の話として述べました。

では、イエスが勧めている三つのアドバイスに込められた意味は何でしょうか。
一つ目は「裕福になるように、火で洗練された金をイエスから買うように」と述べています。
続けて「あなたが貧しいのは不純物が混ざった原石だからなので、火で洗練された金のように、あなたを裕福にしよう」とあります。
前段の話で述べたように、イエスのアドバイスは神の目的に沿っていて、神の目的は「全ての霊を神の境涯に導く為」ですので、不純物が混ざった原石とは人間に宿る霊であり、火で洗練することによって金に変わる――神の境涯に相応しい霊に成長すると述べています。
では、火で洗練するとはどういうことでしょうか。
『ヨハネの黙示録』で火についての記述を抽出すると、天の玉座にある祭壇の火、火と硫黄という戦乱を思わせる表現、サタンが投げ込まれる火の池などでしょうか。
火の池については、『銀の紐』掲載の【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その10)】の項目「新しい天と新しい地」で述べているように、今私たちが暮らしている地上世界こそが「火の池」ということになりますし、火と硫黄も地上の戦乱の表現ですので、人間として地上で様々な経験を積むことを指して「火で洗練する」と表現しているようです。
そこでわざわざ「火で洗練された金をイエスから買うように」と述べているのですから、「地上で人間として様々な経験を積む中から、イエスの教えに基づいて物事を判断できるようになりなさい」というのが、第一のアドバイスの意味でしょうか。

二つ目は「裸の恥を晒さないように、身につける白い衣を買うように」と述べています。
黙示録の第三章第五節では、「勝利を得る者は白い衣を着せられる」とあり、最後の審判の後、新しい天と新しい地に住むことが出来るのは、勝利を得る者だけです。
ここで勝利を得られない者は、黙示録の第二十一章第八節にあるように「火と硫黄の燃える池」に投げ込まれてしまうのですから、第二のアドバイスは「新しい天と新しい地に住むことが出来るように、勝利を得る者を目指しましょう」と言うことになります。
敢えて「裸の恥」と述べているのは、「私は金持ちで満ちたりている」と言う人は、人間の肉体に衣を着ていても、あなたの霊は白い衣を着ていないので、人生を終えた後に自分の無知を恥じるということでしょうか。

三つ目は「見えるようになる為に、目に塗る薬を買うように」と述べています。
神の目的は「全ての霊を神の境涯に導く為」ですので、人間に宿る霊が神の境涯に辿り着くには、神の活動についても今のうちから理解を深めてゆかなくてはなりません。
神の活動とは、大まかに物質的な側面と霊的な側面に分かれるのですが、「私は金持ちで満ちたりている」と言ってしまう人は、物質的な側面の理解も中途半端ですし、ましてや霊的な側面の理解は皆無に等しいと言って差し支えないでしょう。
ですから、人間に宿る霊のうちから徐々に神の活動について学んでゆき、神として活動できるくらいに理解が深まると、ようやく神の組織の一員と認められるのです。
では、目に塗る薬とは何でしょうか。
記事では聖書を上げましたが、要は、聖書にある神の言葉やイエスの教えを読み込み、同時に身の回りで起こる出来事や、自分自身の経験に照らして、それらに共通する法則性を導き出しましょうと言うことです。
その共通する法則性こそがいわゆる神の業であり、自然の摂理ということになりますが、それを見極める観察力・洞察力を養うことが「見えるようになる」ことに繋がります。
これらを黙示録のテーマに沿って言い換えると、「神の働きかけと、悪魔の唆しの違いを見極めましょう。違いを見極められる観察力・洞察力を養う為に、聖書にある神の言葉やイエスの教えを参考にしましょう」となります。

(2015年10月4日)





■ silvercode愛読者のコメント

詳しい解説ありがとうございました。

今回のヨハネの黙示録の一番伝えたかったのは、この三ポイントではないかなって自分自身では感じており、特に解説が無かったので、敢えて質問させてもらいました。

神の働きかけと、悪魔の唆しの違いを見極めましょう。違いを見極められる観察力・洞察力を養う為に、聖書にある神の言葉やイエスの教えを参考にしましょう」

これがベースとなるテーマだったと言うことなんで、自分なりに”何が真実で何が偽りなのか?”ってことに選別の目を磨きながら色んな体験を通して学んで生きたいと思います。

どうもありがとうございました。

(2015年10月4日)





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